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第1307回2024年11月8日配信

知ることからはじめてみませんか?

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関根 健一

文:関根 健一

第1075回

縁あって「家族」

著書『縁あって「家族」』の「育てるつもりが育てられ」を朗読したものです。

縁あって「家族」 
吉福  多恵子

 育てるつもりが育てられ

先日、新聞のコラムに、「育む」という言葉の語源が「羽」で「含(くく)む」〝はくくむ〟から来ていると記されていました。 なんてきれいな響きでしょう。日本語の持つ美しさには、時として感動させられます。

古来、言葉には魂が宿ると信じられてきました。親鳥が羽を広げてひなを包み込む。鳥たちの慈しみ深いしぐさに、遠い昔の人々は自分たちの子育てを重ね合わせたのでしょうか。やがて成人し、独り立ちしていくさまを「巣立ち」と表現しました。 これまで連綿と「育まれ」、そして「巣立ち」を繰り返してきた私たち人間の「いのち」。その遥かな旅路は、どこを目指そうというのでしょうか。

「お疲れさま」と、隣の県に住むT子ちゃんから、いつものメールが入りました。
「おばさん、元気ですか。私はなんだか、毎日毎日イライラして。子供がかわいくないときがある。自分が産んだ子なのに。できることなら親をやめたい…なんだか、心が痛い。ねえ、子育てって、我慢してやることなの? もう疲れたよぉ」

T子ちゃんの心の叫びが画面の向こうから聞こえてくるようです。 小さいころから教会に出入りしていた彼女は、私にとって娘のような存在です。両親がすでにいないこともあって、余計に思いが掛かります。急いで返事をしたものの、会って顔を見るまで心配でした。

わが子をいとおしむ気持ちになれないことほど、悲しいことはありません。人は本来、その手にいたいけな幼子を抱けば、自然と「守ってやりたい」と思うはずです。神様がそのように私たちをお創りくださったとしか思えないのです。

親になる練習なんて、誰だってしたことはありません。周りの人たちに助けられ、何よりわが子に教えられながら、私たちは曲がりなりにも親と呼ばれる存在になっていくのです。 近ごろ、テレビや新聞で子供たちに関わる悲しい事件を見聞きするたびに、やりきれない思いが募ります。
核家族化が進み、近くに相談できる人がいなかったら、育児に疲れた母親はますます孤立してしまいます。一日中、家のなかで子供とにらっめこでは、神経もすり減ってしまうでしょう。〝公園デビュー〟が頭痛の種になるというのも、笑えない話です。

あれ以来、T子ちゃんとは何度も行き来を繰り返し、いろんなことを話し合いました。
「ほんと、今日は教会へ行ってよかった。みんなに子供をかわいがってもらって、うれしかった。なんか、やっぱり一人では育てられないよね。みんながいる所だと子供も喜ぶし、何より私が一番うれしかった…大事に育てたい」
「心をいつも広く持って、大らかに受け止めてやらなきゃいけないのに…。毎日が反省です。おばさん、毎日はゆったりと、ですよね。頑張ります。また、つらくなったら助けてね」

そうよ。あなたは、お母さん! 一人で悩まないで。暗いトンネルだって、いつかは抜け出せる。周りを見渡せば、救いの手は必ずあるはずだから。
時にはズームボタンをオフにして、ちょっと引いたところから、わが子を見てごらん。ずいぶん成長したなって思えるよ。いつもいつもアップモードじゃ、子供だって息がつけないもの。

いまにして思えば、私にも肩肘を張って子育てをしていた時期がありました。
そんなとき、「もっとかわいがってやればいいじゃないか」という父の言葉に、ふっと目の前の霧が晴れました。いい子に育てるためと思っていたことが、実は私自身の見栄だと気づいたのです。
ズームボタンがオフになった瞬間でした。

時が過ぎ、やがて「巣立つ」日も間近いわが子たちですが、誰よりも「育まれ」ていたのは私だったと、つくづく思います。

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