天理教の時間

「天理教の時間」家族円満 気づいていますか?身近にある幸せ

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第1387回

私、ひのきしんがしたい!

中学生のTちゃんが不登校となり、教会で預かることに。イキイキとひのきしんを頑張る彼女に、私はある提案をした。

「私、ひのきしんがしたい!」

                     兵庫県在住  旭 和世

 

ある日の夕方のことです。教会につながる中学生のTちゃんから、私の携帯に着信がありました。

電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元気のない様子で「いま、塾に向かって途中まで来たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも帰りづらい…」と、最後は涙声でした。

驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教会に連れて帰ることにしました。冬休み直前の出来事でした。

Tちゃんはそれまでの数か月、学校に行けない日が続いていました。いわゆる、不登校のような状況です。

 

さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然学校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、学校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。

けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神様が友人家族にお与え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が来ますように…と、毎日お願いしていました。

その後、しばらくは大変な状況が続きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元気に成長されています。

 

友人はこの大変な経験から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理学について勉強し、「不登校対応講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。

彼女によると、不登校は決して怠けている訳でも、サボっている訳でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衛のようなものだということ。なので、なぜ学校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの対応を学ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出来ると教えてくれました。

 

私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。

そこで、是非その「不登校対応講座」の話を、うちの教会で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。

当日は、実際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに来て下さっている方など、色々な立場の方が参加して下さり、私も一緒に学んだ事で不登校への認識がまったく変わりました。

 

先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復帰できるのか?」と焦って、お先真っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顔を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という悪循環が生まれてしまうと思うのです。

しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な対応をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事

でした。

 

その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近学校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに伝え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは体調を崩し、寝込んでしまう日が続きました。

私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教会に来る時の明るい表情とはまったく違う、元気のないTちゃんの顔にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。

お取り次ぎの後、「学校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。学校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。

 

その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衛をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは真面目だから学校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元気出ないんよ。今は体がTちゃんの心を守ってくれている状態やから、休んでいいんやで。無理せんでいいよ」と伝えました。

するとさっきまで曇っていた顔が、ホッと安心した顔になったのです。ただ、この後もTちゃんは学校に行きづらい日が続きました。

 

そんな中、夏休み中の「こどもおぢばがえり」の少年ひのきしん隊や、鼓笛隊の合宿、大教会で教えを学ぶ練成会など、ハードなスケジュールが続きましたが、不思議な事に、それらの行事には休むことなく、全て元気に参加することが出来たのです。

そして、いざ新学期が始まると…また行きづらい状況になっていました。しかも、目の前には高校受験という大きなハードルが立ちはだかっています。

 

そんな時にかかってきたのが、先ほどのTちゃんからの電話でした。彼女の心が限界を迎えているのだと、すぐに理解が出来ました。そして、しばらく教会で過ごすことになりました。

教会での彼女はとてもイキイキとして、ひのきしんを頑張ってくれるし、色々な事に良く気がついて、自分から行動してくれます。

そんな彼女を見ていて、私はふと「Tちゃん、おぢばの学校に行かない? 天理高校の二部は定時制で、おぢばでひのきしんがいっぱい出来て、神様の勉強も出来る所なの。寮生活で大変な事もあるけど、Tちゃんならやっていけると思う」と言ってみました。するとTちゃんの目が急にキラキラと輝いて、「私、おぢばの学校でひのきしんしたい!」という返事が返ってきました。

 

『稿本天理教教祖伝』第二章「生い立ち」の中に、教祖が、怠け者と言われていた作男を、いつも「御苦労さん」と、優しい言葉をかけて根気よく導かれ、やがて人一倍の働き手になった、というお話があります。

私は、教祖が作男にかけられたお言葉の奥には、彼を信じる心があったのではないかと思います。彼が怠け者になったのには、きっと何か理由があって、素直になれなかった。そんな心を教祖は見通され、彼が本当は怠け者ではないと信じ、「御苦労さん」という言葉をかけ続け、導かれたのだと思うのです。

不登校の子供たちも、決して怠けている訳でもサボっている訳でもなく、自分を守ろうとしているのだという事を、周りの大人が理解し、気長に寄り添い、信じ続ける事が、教祖のお心に通じる行いであると思います。

 

その後、Tちゃんは天理高等学校第二部の専願受験を決めました。年が明け、新学期が始まり、Tちゃんは初日に登校することが出来ました。

Tちゃんは、担任の先生との面談で「どうして天理高校に行きたいの?」と聞かれ、「私、おぢばでひのきしんをしたいんです。そして神様のお話をもっと勉強したいんです」と答えたのです。私はTちゃんのその言葉を聞いて、教祖がどれほど喜んで下さっているかと思いました。

これから先も、色々な事があるでしょう。心が倒れそうになる事もあると思います。そんな時でも、教祖がされたように、彼女の心の力を信じて寄り添ってくれる人がいれば、きっとまた外に向かって立ち上がる力を取り戻す事が出来ると思います。

 

こうやって、私がTちゃんの心に寄り添えるようになれたのは、友人が娘さんの不登校という大きな節を乗り越え、その節を生き節にして、ご恩返しとして懸命に伝えてくれたからだと、心から感謝しています。

これからもこのたすけ合いの輪、寄り添いの輪が広がって、多くの子供たちの心が元気になっていく事を願っています。


 

心配

 

どんなに環境に恵まれても、物に囲まれていても、心が曇っていては、せっかくの有り難い境遇も意味をなさなくなってしまいます。これから先、どうなるのであろうか、何か悪いことが起こりはしないか。先行きを案じるのは私たちがどうしても消せない癖・性分であると言えるでしょう。

 

神様のお言葉に、「明らかな心に心配は要らん。心配するというは心に曇りあるから」とあります。(M24・11・15)

辞書では「心配」という言葉について、「これから先のことなどが気がかりで、心を悩ませること」という意味と共に、「心にかけて世話をすること」と、二つの意味が説明されています。

同じ「心配」でも、心を配って人のお世話をするのと、心にかけて思い患い、不安に思うのとでは、まるで正反対の心遣いです。常に人のことを気にかけ、心を配る。すなわち人をたすける心を優先させれば、自らの憂いは自ずと取り払われていくのではないでしょうか。

 

今、この一瞬々々にも、元の親である親神様のご守護を感じ、生かされて生きていることを自覚し、感謝すること。それが、心の憂いを取り払い、明るく勇んで通る第一歩です。

お言葉に、「一日と言えば、朝結構という中に、明日という」(M25・6・3)とあります。

新しい朝を迎え、目が覚める。今日も新しい一日をお与え頂いた。私たちは親神様のあたたかい懐に抱かれ、導かれているのだから、何も心配することはない。そうして、「朝を結構」と通る中に、明るい日々が、今日、明日という日が開かれていくのです。

もちろん私たちの日常は、喜び事ばかりに囲まれているわけではありません。時に憂うつな出来事にあい、戸惑う時もあります。しかし、一日を喜び一杯につとめ切れば、「勤まった日は夕景安楽という」(M25・6・3)とのお言葉通り、安らかな気持ちで夜を楽しめるというご褒美が待っています。

さあ、今日も一日、勇んで通らせて頂きましょう。(終)

 

次回の
更新予定

第1388回2026年5月29日配信

今が有難い

家族円満 松村登美和
松村 登美和

文:松村 登美和

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