サードマン現象(前編)
助産師 目黒 和加子
「勝手に促進剤を中止するとは、どういうことだ!」
「夜通し促進剤を続けるなんてありえません。子宮筋が疲労して子宮破裂の可能性があります! 母と子に危険が及ぶと判断し、中止しました!」
職員通用口を開けるなり耳に飛び込んできたのは、大声で怒鳴り合う声。院長と夜勤助産師の池田さんが、休憩室で大ゲンカの真っ最中です。
「すぐに促進剤を始めるぞ!」と言い放ち、部屋を出ていく院長。その背中を睨みつける池田さん。一体、何があったのでしょう。
その二日前、破水で来院した初産婦の原さんは丸一日待っても陣痛が来ず、前日の朝から分娩促進剤の点滴を始めました。胎児を取り巻く卵膜が破れ、羊水が漏れ出すことを破水といいます。破水すると細菌が子宮内に進入し、胎児が感染の危険にさらされます。自然に陣痛が来なければ薬で陣痛を起こし、お産を進めます。
17時の時点で子宮口は半分の5センチ開大。通常はここで点滴を止め、夜は子宮を休ませます。子宮は促進剤で強制的にギュッと縮んだり戻ったりをさせ続けられるので、疲れてくるのです。
院長は「20時まで点滴を続けよう」と言いました。20時になり内診しましたが、子宮口は5センチと変わりません。今度は「23時まで続ける」と言い、車で外出。23時に外出先から電話で、「明日の朝まで点滴続行しておいて」と指示を出しました。この時も子宮口は5センチのまま。
池田さんは、「子宮が疲労して分娩が停止しています。促進剤を中止して子宮を休ませてください」と上申しましたが聞き入れてもらえず、中止を自分で判断しました。
翌朝、院長が来てみると促進剤は前日の23時で中止されていて、バトルとなったようです。
申し送りを受けた日勤の私。怒りが治まらない池田さんに、「今日のところはゆっくり休んで」と声をかけ、原さんのいる陣痛室に行くと、とんでもないことになっていました。
引きつった顔の原さんがお腹を抱えて息み、強烈な痛みで言葉も出ない様子。促進剤の点滴量を調整するポンプの設定が、なんと通常の倍の量になっているではありませんか。院長が早くお産にしようと量を多くしたので、子宮の収縮が強くなり過ぎ、過強陣痛となっているのです。
すぐに促進剤を中止。分娩室に入れて内診すると、子宮口はほぼ全開大。このままお産になると判断し、病衣をめくるとお腹に薄茶色の縄のようなものが浮かび上がっています。
「まさか、これって…。バンドル収縮輪や!」
助産学の教科書でしか見たことのない、子宮破裂の前に現れる「バンドル収縮輪」が目の前に。
「まずい。このままでは子宮が破裂して母児共に命がない!」
バンドル収縮輪を見た院長は青ざめ、「T病院に搬送をお願いしてきますッ!」と大慌てで電話をしています。
すぐに救急車が到着。原さんとご主人を乗せ、T病院へ出発するその時、「僕は外来診療があるので、目黒さんが乗って行って」と院長。
「何言うてるんですか! ドクターが行かないと途中で何かあったらどうするんですか!」
「日勤の医者は僕一人やし、外来の患者さんを待たせてるので」と、立ち去ってしまったのです。
そのやりとりを聞いていた救急隊員が、偶然にも私が以前に分娩介助した秋本さんのご主人でした。
「目黒さん、どうする?」
「押し問答してても時間のムダや。秋本さん、突っ走って!」
「任せてください!」
救急車は原さんとご主人と私を乗せ、飛ぶようにT病院へ。この車中で私は不思議な体験をしたのです。
震える原さんの手を握り、「すぐに着くからね」と励ましつつも、バンドル収縮輪は一層くっきりと浮かび上がり、破裂寸前。
「神さん、私の寿命、好きなだけ差し上げます。原さんと赤ちゃんをたすけてください!」と身を捨てる覚悟を決めました。
「あ、T病院が見えた」。一瞬気が緩んだその時、気づいたのです。誰かが私の背中をさすっていることに…。
振り返ってみると、ご主人は椅子に腰かけて震えています。
「ご主人と私との間に誰かいてる…。これは何?」
不思議に包まれると同時に、T病院に到着。分娩室に運び入れ、3分後に出産。子宮破裂はギリギリのところで回避されました。
T病院からの帰りのタクシーの中。ドキドキが治まらず、深呼吸すると背中がスースーするのに気づきました。
「あれ、ブラジャーのホックが外れてるわ。なんで外れてんのやろ?」
ブラジャーのホックは簡単に外れません。なぜ、外れているのか。女性のリスナーさんは分かりますよね。背中を強くさすられたから外れたのです。
頭の中がザワザワしながら、思い出したのは、数か月前にNHK教育テレビで見た「地球ドラマチック」という番組。テーマは「サードマン現象」。第三の存在という意味です。
「サードマン現象とは、遭難や漂流、災害現場などで絶体絶命の極限状態に置かれた時、奇跡の生還へと導いてくれる目に見えない第三者の存在を感じること」と説明されていました。
その時は、「なんやそれ。根拠のないこと言うて」と流していたのですが、「けど、スースーする背中は現実や。私の背中をさすっていたのはサードマンなんやろか?」と思案をめぐらせていると、過去に同じような経験を何度もしていることに気づいたのです。
「子宮が収縮せず胎盤剥離面から大出血したMさんの時、産道から子宮の中に手を入れて圧迫止血する私のそばに誰か居てた。息遣いを感じたよな」
「へその緒が四重に巻きついて産道で動けなくなったYちゃんの時、誰かが私の背中にくっついて、二人羽織状態で赤ちゃんを取り上げたっけ」
「薬剤性ショックで血圧低下したFさんの時は、頭の中がコンピューターのようになって、優先順位をはじき出して抜かりなく処置できた。あの時は自分の頭の中が自分じゃないみたいやった。危機一髪の時に出てくるのは、いったい誰なんやろう?」
そんなある日、私の周りに現れるサードマンが分かったのです。それを教えてくれたのは、これまたNHKのテレビ番組。
その正体は…来週の後編で。
夫婦揃うて
大阪で左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんは、入信して間もない頃、教祖から「夫婦揃うて信心しなされや」とのお言葉を頂きました。四郎兵衛さんは早速、妻のタネさんに「この道というものは、一人だけではいかぬのだそうであるから、おまえも、ともども信心してくれねばならぬ」と話したところ、タネさんはこれに素直に従い、夫婦で熱心に信仰を始めました。(教祖伝逸話篇92 「夫婦揃うて」)
信仰の先人の中では、おしどり夫婦の代表のような四郎兵衛さんとタネさん夫妻。四郎兵衛さんはおたすけに出向く際には、タネさんに場所や人物、お願いの筋を必ず詳しく伝え、タネさんもそれを一心に受け、留守番をしながら必死にたすかりを願ったと伝えられています。
明治十五年、教祖が奈良監獄署へ拘留された時の話です。この時、四郎兵衛さんはお屋敷に滞在しながら、朝暗いうちから起きて、奈良までの約12㎞の道のりを差し入れのために通っていました。
奈良に着く頃に、ようやく空が白み初め、九時頃に差し入れ物を届けてからお屋敷へ戻る毎日でした。ある時は、監獄署の門の中へ黙って入ろうとすると、「挨拶せずに通ったから、かえる事ならん」と警官に脅かされたり、帰ったら帰ったで、お屋敷の入り口では張り番の警官にとがめられ、一晩中取り調べを受けるなど、毎晩二時間ぐらいしか寝る間がない有様でした。
十二日間の拘留の末、教祖は大勢の人々に迎えられ、お元気にお屋敷へ帰られました。すると教祖は四郎兵衛さんをお呼びになり、
「四郎兵衛さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」
と仰せられました。
四郎兵衛さんは不思議に思いました。監獄署では、差入れ物をするだけで、直き直き教祖には一度もお目にかかっていないのです。それに、自分のそのような行動を、他の誰かが申し上げているはずもありません。
ところが、その頃、大阪で留守番をしていた妻のタネさんが、教祖の御苦労をしのび、毎日蔭膳を据えて、お給仕をしていたのです。(教祖伝逸話篇106「蔭膳」)
四郎兵衛さんとタネさんが、夫婦で心を一つに合わせ、教祖を思うその真実を見抜き見通され、教祖はそのようにお声を掛けられたのです。
お言葉に、
ふたりのこゝろををさめいよ
なにかのことをもあらはれる(四下り目 二ッ)
とあります。
どんな中でも夫婦が心を一つに治め、一すじ心で通る中に、陽気ぐらしへの道が開かれることをお教え下されています。
(終)
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