第1384回2026年5月1日配信
そのひと言があったから
4歳の時、父が借金を残して蒸発。親戚に辛く当たられ、道を踏み外す可能性もあった。母のあのひと言がなければ…。
そのひと言があったから
助産師 目黒 和加子
「よく、曲がらないで育ったもんだ。そんな環境にいたら、道を踏み外して不良になってもおかしくないよ」
私の生い立ちの話になると、夫のめぐちゃんは、切なさと不思議さが入り混じった顔でそう言います。
「不良になるチャンスは何回もあったわ。悪くなっていく同級生や先輩も身近にいてたし」
めぐちゃんと私が育った昭和50年代は、素行不良の中高生が続出し、校内暴力・家庭内暴力が社会問題になった時代。
「今日を限りにいい子はやめる!悪い仲間に入ってグレてやる!って決意したことがあってんけどね。そのひと言があったから、道を外さんと踏ん張れてん」
「へえー。そのひと言って、なに?」
昭和43年。私が4歳の時、父の事業が失敗。父は多額の借金を残し、浮気相手のホステスと蒸発。ヤクザまがいの借金取りが入れ代わり立ち代わりやって来て、一家心中寸前まで追い込まれました。
その後、大阪から遠く離れた父の所属教会に預けられ、次に信者さん宅に引き取ってもらい、半年後、大阪に戻りました。が、元の家ではなく、そこは親戚宅の三畳間。
事情を知らされていない私は、「パパはどこにおるの?」と母にたずねました。途端に母の顔がこわばり、つないでいる手が震え出したのです。
〝パパのことを聞いたらあかんのや〟。幼心に刷り込まれ、それからは言わなくなりました。
もちろん、母も父のことを一切口にしません。その後も別の親戚宅を間借りして、浮草のような暮らしが5年も続いたのです。
小学三年生の時、親戚宅から独立し、アパートを借りて母と私と弟の三人で暮らせるようになりました。母は生活と父の借金返済のため、看護師の仕事以外に内職もしていました。働きづめで余裕がなく、笑顔が消えていったのです。
「お母さんが暗い顔してる。なんとかせなあかん」
元気の出る明るい歌を笑顔で歌い、掃除、洗濯、アイロンがけに買い物、何でもしました。
「和加ちゃんが歌ってくれると心が明るなるわぁ。家のことをしてくれるから安心して仕事に行ける。ほんまにたすかるわ」と微笑む母。
「わ・か・ちゃん。あ・そ・ぼ~」
「今、お風呂の掃除してんねん」友達が誘いに来ても、あくまで家のことを優先。
「帰ってきたら、すぐお風呂に入れるようにしといたげよ」
母の笑顔見たさに懸命に家事をする、しっかり者のいい子だったと思います。
父のことはもっぱら親戚から聞かされました。
「自分がつくった借金を女房に丸投げして、ホステスと逃げる最低な人間や。お父さんみたいな人になったらあかんよ。あんな人でなし!」
父は周りの人を不幸にした張本人です。しかし、そんな親でも悪く言われると子供の心はえぐられ、次第に傷は深くなります。
中学生になって間もない頃、法事で親戚が集まりました。会社の社長をしていた親戚のおじさんが、酔った勢いで「和加ちゃん、お父さんに似てきたなぁ。横顔なんかそっくりや。あんたのお父さんは悪い奴でなぁ。有名大学を出てるから営業部長にしてやったのに、営業だと言ってキャバレーで会社のお金を使い込んだ。だから倒産したんや! 倒産が決まった時に『社長がバカだからこんなことになったんだ』なんて言いやがって!」そう言って、手元にあったおしぼりをテーブルに叩きつけたのです。
「すみません、すみません」小さくなってひたすら謝る母。その姿がみじめで情けなくて、〝お父さんのしたことやのに私にぶつけるんや。これからも言われ続けるんやろな。もう耐えられへん。いい子はやめる。グレてやる!〟と決意したのです。
さっそく、不良グループを観察。「どないしたら仲間に入れるんかなぁ」と探っていました。
そんなある日、夕食の片づけをしていると母が側に来て、ニコッと笑うと、「和加ちゃんが産まれた時、お父さんはすごく喜んだのよ」と言ったのです。父のことを一切話さない母が、しかも笑顔で。そのひと言だけ言って、隣の部屋に行ってしまいました。
産まれてきた我が子を見て喜ばない親はいないでしょうから、ごく当たり前のことを言っているだけですよね。しかし私にとっては、「私は望まれて産まれてきたんや、産まれてきても良かったんや、これからも生きていいんや」と、自分の存在価値を肯定してもらったと感じられる言葉だったのです。
なぜ、母はいきなりあんなことを言ったのか。おそらく親戚から罵倒され、苦々しい思いをしていた私に危うさを感じたのでしょう。このひと言は私の強力な踏ん張る力となり、これからも母のことを支え続けると決めました。
今から13年前、ひょんなことから父の住所が分かり、一人で会いに行きました。4歳で別れているので44年ぶりです。その後、時折お品物が届くようになり、手紙のやり取りをしていたところ、〝老健施設に入所したので、会いに来てほしい〟と書いてきました。
再会から10年以上が経ち、父は92歳になっています。これが最後になるだろうと、夫のめぐちゃんも一緒に来てくれました。耳が遠くなり聴こえないとのことなので、筆談出来るように紙とマジックを持って行きました。
介護士さんに付き添われ、エレベーターから降りてきた姿にびっくり! 小さくなって別人のようです。めぐちゃんと私に深々と頭を下げる父。ソファーに座って早速、筆談を始めました。
【お久しぶりです。主人も一緒に来ました。聞きたいことがあるのですが。私が産まれた時、お父さんはとても喜んだと母から聞きました。本当ですか?】
「本当です。本当です。初めての子だからとても嬉しかった」うなずき、身を乗り出す父。
【子供時代はつらいことが多かったですが、母から聞いたそのひと言にチカラをもらって踏ん張れました。今は優しい主人と幸せに暮らしています。この人生で良かったと思っています。そのことを伝えたくて…。お身体大切に。くれぐれもご自愛ください】
「情けない親です。申し訳ない。遠路はるばるありがとう。お二人ともお元気で」
短い面会が終わりました。
昨年、父は他界しました。この母のひと言があったから、道を外すことなく、今の幸せにつながっているのだと思います。
心に吹く風「〝結果〟よりも〝経過〟が大切」
私が住む熊本では最近、小中学校の運動会を五月に行うところが増えてきました。全国の公立小学校で、春に開催する学校の数が、秋の開催校を上回っているというデータもあります。入学したての一年生には少しばかり負担かもしれませんが、熱中症対策に加えて、競技を通じて新学年のクラスの団結が強まるという報告もあり、この傾向は今後も続いていくと思います。
運動会で考えたことがあります。「あれは体育の大会だから、クレームが出ないのではないか」ということです。
ご存じの通り、学校教育には「知育、徳育、体育」という三つの基本的な指針があります。たとえば、同じことを「知育」でやったらどうでしょう。
朝から全校児童が校庭に集められ、入場行進をする。家族が弁当を持ち込み、シートを敷いて声援を送る。本部テントに来賓を招いて席を作る。賑やかな音楽を流しながら、「せーの」で全員が〝計算ドリル〟や〝漢字の書き取り〟をして、一等賞の子をみんなで褒めたたえる―。こんなことをやったら、間違いなく保護者から「なんということを…」とクレームが来るでしょう。
「知育」ではだめで「体育」だから許される大会。こういう見方をしてみたら、また違った風景が見えてきます。なかには運動が苦手で、みんなが見守る前で一番最後を走るのが嫌な子だって、間違いなくいるはずなのです。
私はかつて、子供が通う小学校のPTA会長をしていたとき、運動会の開会式で、こんなあいさつをしました。
「おはようございます。待ちに待った運動会、楽しみにしていた人もいるでしょう。でも、かけっこはちょっと苦手だな、という人もいると思います。
ところで、みんな〝名探偵コナン〟って知っていますか? 見た目は小学生の子供が、次々と難しい事件を解決し、犯人を見つけていく。アニメだけどすごいなって思います。でもあれ、最初から犯人が分かっていたら面白いですか? また、野球やサッカーの試合をテレビで見ますよね。あれは、結果だけ分かればいいのなら、なにも試合の中継を見なくても、あとでニュースを見ればいいですよね。なんで、あんなにテレビの試合に熱中するのでしょう。
実はみんな、〝結果〟よりも、どうしてそうなったかという〝経過〟が大切だと知っているのです。だから、その経過に熱中するんです。
いいですか。今日の運動会では勝つ人、負ける人が出ます。でも、その結果よりも、もっと大切なことがある。それは、その結果が出るまでに、自分が、また自分のチームが、どれだけ頑張ったかという経過です。昨日の練習よりも、前を行く人との差をちょっとでも縮められたら、そのときは自分に大きな拍手を送ってくださいね」
同じことは大人の私たちにも言えると思います。現代は「勝ち組」と「負け組」に分かれ、結果を出さなければ生き抜けない世の中だといわれています。しかし、本当に大切なのは、〝結果〟として失敗しないことよりも、その結果が出るまでの〝経過〟です。負けない人間、失敗しない人間などいません。しかし、その失敗から何かを学ばないと、次も同じところで失敗を繰り返してしまいます。
実は、テレビドラマに出てくる女医さんではありませんが、「失敗しない」秘訣があります。それは、失敗を失敗で終わらせないこと。失敗した段階では「まだ終わっていない」と思うことです。その失敗から多くを学び、それが次の成功につながったとしたら、その失敗は、成功への〝経過〟にすぎません。
神様は、可愛いわが子である人間に、時には病気や悩み事など、苦しい思いをさせられることがあります。しかし、それは本当の幸せへ導かれる〝経過〟なのです。それを信じて、神様の思いに気づき続ける心を保ちたいものです。
(終)
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