(天理教の時間)
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第1405回2026年9月25日配信

伝えたい思いがある

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関根 健一

文:関根 健一

第1378回

何でもない者や

教祖は特別な学問を修めたり、厳しい修行を積まれた上で教えを開かれた訳ではない。ここにこの教えの特色がある。

何でもない者や

 

通常、一つの教えの始まりには、その出現が待望されている預言者の存在や、長年の苦行と瞑想の末に悟りを開く者、あるいは海を渡って勉学に励み、その秘伝を持ち帰るといった開祖の存在があります。しかし、天理教の教祖・中山みき様「おやさま」の場合、立教以前にそういった特別な経験をされたわけではなく、そこにこの教えの特色があるのです。

次のようなお言葉があります。

 

「こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ。」(M21・1・8)

 

このお言葉によって、教祖の社会的なお立場が明確に示されています。「何処其処で誰それという者でない」とあるように、決して世間に名の知れた者ではなく、いち農家の主婦でありました。また「何にも知らん女一人」とあり、特別な学問を修めたり、宗教に関する専門の研究をされたわけでもありません。九歳から十一歳まで寺子屋に通われたのが唯一の学歴のようなもので、「何習うたやなし」とあるのは、そのことを指しています。

全く世間の評価からすれば、「何でもない者」であったのです。その教祖が、親神様が人間を創造された時、母親の役割を担った特別な魂を持ついんねんによって、「月日のやしろ」となられたのであり、まさに親神様のお心そのままに、教えを述べ伝え、陽気ぐらしへのお手本となる「ひながたの道」をお通り下されたのです。

これは何も、教祖のお立場を示されているばかりでなく、信仰する者一人ひとりにとっても心に治めるべきお言葉です。教祖の手足となって、陽気ぐらし世界実現に向けて人だすけの御用に働く者を「ようぼく」と呼びますが、このようぼく個々人にしても、大概は「ほん何でもない会社員」や「ほん何でもない主婦」であり、高い社会的地位や学歴を持つ者ばかりではありません。それを理由に自らを卑下したり、だから大した御用はできないなどと考える必要はまったくないのです。

親神様は、この私をようぼくとして引き寄せて下さったのだから、その思いに応えるべく精一杯つとめよう。その心意気が、親の思いに応える道なのです。「ほん何でもない者」の真実の働きを、親神様は待ち望んでおられます。

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