第1399回2026年8月14日配信
さあ掃除や
教えには「胸の掃除」という言葉が随所に表れる。そして、世界中の人々の胸の掃除には、多くの人材が必要だとも。
さあ掃除や
掃除といえば、掃除機でお部屋をきれいにしたり、近所の落ち葉を掃いたりと、ごく当たり前の日常の風景です。皆さんも職場や学校、自宅の掃除などは日々心掛けていることでしょう。
しかし、この教えでは、「胸の掃除」というお言葉が随所に出てきます。「世界中の人間を、一人も余さずたすけたい」これがこの世界と人間をお創り下された親神様の切なる思いであり、そのためには、一人ひとりの「胸の掃除」が必要であるとお示し下さるのです。
教祖直筆による「おふでさき」に、
このみちハうちもせかいもへたてない
せかいちううのむねのそふぢや (十五 47)
このみちハどんな事やとをもうかな
せかい一れつむねのそふぢや (十六 57)
とあります。
内々の者も世間の者も隔てなく、世界中の人々の「胸の掃除」をする。つまり、心のほこりを払ってゆく。そして、陽気ぐらしへの道を進めるため、人をたすける心に入れ替わるよう導いていくのだと教えられます。
さらには、
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (三 52)
とのお歌で、胸の掃除に必要なのは、何より真実からなるこの教えを実践すること。それによって、親神様が箒となり、心のほこりは徐々に取り払えるのだと教えられます。
しかしながら、世界中の人々の胸の掃除をするには、多くの人材を必要とします。
お言葉にも、
「さあ掃除や。箒が要るで、沢山要るで」(M20・3・15)
とあります。
親神様の道具としての箒の役割、すなわち、教えを身につけ、真実の道を通る人材を多く求めておられます。
お言葉はその後、「使うてみて使い良いは、いつまでも使うで。使うてみて、使い勝手の悪いのは、一度切りやで。隅から隅まですっきり掃除や」と続きます。
親神様にとって使い良い人材は、いつまでも使って下さるとの仰せです。そして、胸の掃除が出来たならば、
心さいすきやかすんた事ならば
どんな事てもたのしみばかり (十四 50)
と、楽しみづくめの日々が待っていることを、お示し下されています。
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