(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1403回

施し

月日のやしろとなられてから、徹底した施しをされた教祖。その道中にこそ、教えの要点が示されている。

施し

 

この教えが始まって以来、教祖・中山みき様「おやさま」は、陽気ぐらしへのお手本となる「ひながた」の道を五十年にわたりお通り下さいましたが、その最初になされた行動は「施し」でした。

教祖は立教以前、いち主婦であった当時も、困っている人々に施しをされたものの、それは常識の範囲内の出来事でした。しかし、四十一歳で、親神様が入り込まれ「月日のやしろ」となられてからの施しは、人間思案では到底理解出来ない激しいもので、そうして親神様の思召しのまにまに、貧のどん底に落ち切る道を急がれたのです。

このことについて、教祖の道すがらを記した『教祖伝』には、「一列人間を救けたいとの親心から、自(みずか)ら歩んで救かる道のひながたを示し、物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける」と記されています。

また、お言葉に、

「元々は難渋でなかったけれども、有る物もやって了うた。難儀不自由からやなけにゃ人の難儀不自由は分からん。一寸ほのかに覚えて居にゃならん」(M23・6・12)

とあります。

この教祖のひながたに込められた親心を、いま現在の私たちは、それぞれに思案することが出来ます。しかし、伝来の財産を守ることが何よりも大切だと考えていた当時の人々は、教祖の行動の意味を推し量ることは出来なかったでしょう。

それでも教祖は、食べ物や着る物、家財道具のみならず、家の象徴である母屋まで取り壊して施しをされました。このままでは中山家は没落してしまう、誰もがそう思うような徹底した施しだったのです。

世間の人から笑われそしられ、そのうちに親族とも不付き合いになりました。しかも一年や二年ではなく、およそ二十年あまり、そのような道を歩まれたのです。しかし、その歩みにこそ、私たちが心の成人をする上での要点が示されているのではないでしょうか。

明治七年、目の見えないところを鮮やかにご守護頂いた増井りんさんは、河内から大和のお屋敷まで、山越えの約30キロの道のりを、夜となく昼となく足を運びました。その姿を見た村人たちは、「また今日も、あほうが狐にだまされにいく」と嘲り笑いました。

ある日、りんさんは教祖に、「私どもはあほうでございまする」と申し上げました。すると教祖は、「さようかえ、お前さんはあほうかえ。神様には、あほうが望みと仰るのやで。利口のものはつけん。人が小便かけたならば、ああぬくい雨が降ってきたのやと思って、喜んでいるのやで。人が頭を張れば、あああなたの手は痛いではございませんかと言って、その人の手をなでるのやで」と仰せられ、「その通りに、優しい心になるのやで」とお聞かせ下さいました。

りんさんは、このお言葉にどれほどの勇気を得たことでしょう。そして、九十七歳で出直すまで、生涯、神一条、たすけ一条の道を歩み抜かれたのです。

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