(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1402回

〝息〟は自らの心の表れ

言葉をしゃべるためには「息」を使う。それは人の心を温めることも出来れば、冷たくしてしまうことも出来る。

心に吹く風「〝息〟は自らの心の表れ」

 

私たちは常に息をしています。その回数は、一日になんと二万回以上。容積は500mlのペットボトルで二万本にもなります。

これほどまでに大切な息ですが、普段は「吸おう」「吐こう」などと全く意識していません。寝ている間も、呼吸は絶えず繰り返されています。今回は、この「息」について考えてみたいと思います。

息をのむ、息が合う、息が詰まるなど、私たちは、自分の気持ちを表したり、相手との関係を表したり、その場の状況を表したりするときなどに「息」という言葉を使います。また、ため息をついたり、ほっとひと息ついたり、楽器や口笛を吹いたり、ゴミをふっと吹き飛ばしたりと、息の使われ方は実にさまざまです。

冬の日を思い出してください。氷が張るような寒い朝、冷たい手に「はーっ」と息を掛けます。また、熱い味噌汁にも「ふーふー」と吹き掛けます。面白いですね。同じ息ですが、冷たいものを温めたり、逆に熱いものを冷ましたりできるのです。

息を使ってする仕事に、「言葉をしゃべる」というのがあります。言葉も息を使って出している。だから、手を温めたり味噌汁を冷ましたりするのと同じように、人の心を温めたり冷たくしたりするのだと考えてはどうでしょう。

悩みがあって暗い気持ちでいる人の心を、優しい声かけで温かくすることもできれば、元気な人の心を、冷たい言葉で一瞬にして凍らせることもできるのです。同じ言葉を発するなら、できれば元気を失わせるような冷たい言葉よりも、相手の心を明るくするような温かい言葉を使いたいものです。

私はかつて、天理教の鼓笛隊活動で、子供たちに音楽指導をしていたことがあります。

ある年のこと、子供たちのテクニックも表現も上手で、なかなか良い演奏に仕上がったと喜んでいました。このままいけば、コンテストでも金賞をもらえるだろうと確信していました。

いよいよコンテストのパレード当日。本番直前に出番を待っていると、主催者側の係員が、先頭の私にスタートの指示を出しました。その指示に従ったとたん、遠くにいた別の係員が飛んできて、私をにらみつけ、「勝手なことをするな!」と大声で怒鳴りました。最初の係員の指示が間違っていたのです。

私はついカッとなり、指示を出した係員に「君の失敗は許す。しかし、あの言い方はなんだ! あいつをここへ呼んでこい」と言ってしまいました。はっと我に返り、しまったと思って後ろを振り返ると、そこには表情が凍りついた子供たちの顔がありました。私はめったに怒らない、優しい指導者のつもりでした。でも、緊張感も手伝って、つい本性が出てしまったのです。

慌てて笑顔に戻り、平静を装いましたが、時すでに遅し。パレードが始まりましたが、後ろから聞こえる子供たちの演奏する音が、すっかり変わっていて、ついに最後まで本来の演奏を取り戻せませんでした。結果は、金賞にわずか一点足りない「銀賞」でした。

鼓笛隊が使っている楽器は、ファイフという横笛や、鍵盤ハーモニカなどの吹奏楽器が主ですから、ほとんどの音は「息」を使って出します。子供たちの委縮した心からは、委縮した音しか出てこなかったのです。このときほど、「息」の大切さを思い知らされたことはありませんでした。

考えてみると、「息」という字は「自ら」の「心」と書きます。先ほど申し上げたため息や、ほっとひと息つく息も、まさに自分の心が息となって出たものでしょう。

言葉もそうです。思いもしないことが言葉となって出た、などということもありますが、実は自分の心のどこかにあったもの。それを封じ込めることができなかっただけなのです。

不思議な息の働き。それをコントロールしているのは、紛れもない「自分の心」だということを忘れないようにしたいものです。

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