第1395回2026年7月17日配信
麻と絹と木綿の話
優しく包み込む包容力こそ、おたすけ人としての大事な資質だ。教祖は着るものに例えてお諭し下された。
麻と絹と木綿の話
日本発祥のものの中で、便利な道具はたくさんありますが、その中でも風呂敷は最高傑作の一つではないでしょうか。
風呂敷はどんな形の物でも包むことができ、使わない時には小さく折り畳んで持ち歩けます。かけてもいいし、敷いてもいい。まさに自由自在の働きです。西洋式のカバンではこうはいきません。
風呂敷の持つこうした特質は何に由来するのか、それはその開かれた姿によると言えるでしょう。丸いものでも四角いものでも、細長いものでも平たいものでも、何でも内に包み込むその大きな包容力こそ、風呂敷の一番の長所です。
このような包容力は、私たちにとっても大切なものではないか。教祖はある時、着るものに例えてお諭し下さいました。「麻と絹と木綿の話」です。
「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色が来る。色が来てしもたら、値打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。
絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。
そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」(教祖伝逸話篇 26「麻と絹と木綿の話」)
麻は夏にはとりわけ快適であっても、春夏秋冬、いつでもそうとは言えません。しかも直に色が褪せ、衣服としての価値は落ちてしまいます。
絹は軽くて、美しい光沢をもって実に上品です。しかし、取り扱いは慎重にしなければならず、頻繁に洗濯もできません。そんな意味からでしょうか、教祖は「絹のような人になったら、あかんで」と仰せられます。それは、取り澄ました美しさを求め、外側を飾ることへの執着を戒めておられるものと思います。
これら麻と絹とに対比させて、教祖は木綿について仰せられます。木綿は誰が着てもしっくりくるし、用いるのに必ずしも時と場所を選びません。何度でも洗濯ができるし、洗いざらしであってもそれなりの美しさを保っています。また使い道が広く、どのようにも使えて重宝なものです。まさにシンプルかつ、奥深い素材です。
この木綿の自在に開かれた姿、大きな包容力こそ、教祖のひながたそのものと言えるのではないでしょうか。教祖はお屋敷に寄り集う、どのような病気や事情を抱えた人々に対しても、「よう帰ってきたなあ。待っていたで」とあたたかく迎えられ、優しく教え導いて下さいました。
私たちも常に外に大きく開かれた心を持ちながら、いざという時には人の心をそっと優しく包み込む。それでこそ、人だすけの上に大いに働くことが出来るのです。
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