第1401回2026年8月28日配信
世上が鏡
鏡がなければ自分の顔すら見られない私たち。その代わり、よく見える他人の事はああだこうだと言いがちである。
世上が鏡
今朝もじっくりと自分の顔を見つめて、入念にお化粧を施して準備万端、さあ出かけましょう。私たちの何気ない日常の風景ですが、これは鏡という道具なしには出来ないことです。
私たちはなぜか、自分の顔を自分の目で見ることは出来ません。何とも不思議なことです。その代わりに、自分以外の視界に入る外の出来事、あるいは他人のことはよーく見える。そしてそれを利用して、「あれはいい、これは悪い」と色々評価をするのが得意なようです。まさに、「自分の事は棚に上げて」という調子で。「自分のことは自分が一番よく分かっている」と時に人は言いますが、果たして本当にそうでしょうか。
神様のお言葉に、「世上が鏡、いかなるもかりもの、心我がもの、心通り鏡に映してある」(M21・7・29)とあります。
親神様には、私たちの心遣いは鏡のごとくに映り、まさに見抜き見通しであられます。その我がものである心を棚上げにして、いくら見た目を整えても、それでは心通りに映る鏡の方は曇る一方で、日常の行いも危なっかしい方向へ行きがちです。
親神様は、私たちの心遣いや行いを見抜き見通されていますが、これは親神様が私たちを監視して、評価を下しているということではありません。すべては可愛い子供をたすけたい、陽気ぐらしへ導いてやりたいとの親心故のことです。
「いかなるもかりもの」とお教え頂く私たちの身体は、目は見て喜ぶためにあり、耳は聞いて喜ぶためにあり、口は人に喜んでもらう言葉を発するためにあるのです。決して人の評価をしたり、欠点を指摘するためにあるわけではありません。
お言葉に、
にんけんの心とゆうハあざのふて
みへたる事をばかりゆうなり (三 115)
とあります。人間の心は「あざない」、浅はかなので、目に見えて表れてくることばかりにとらわれてしまう。目に見えない「心」を大切にするように、とのお諭しです。人のことをああだこうだと言う前に、まずは自分の心遣いを振り返ることが肝心なのです。
どんなことが起こってきても、それを喜びの心で受け取れるようになった時、一点の曇りもない鏡に親神様の理が映り、その親心が手にとるように感じられ、私たちの心の向きは陽気ぐらしへと建て替えられていくのです。
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