(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1404回

「はたらく」とは

教祖が「はたらく」ことについて、口で説かれるだけでなく、実際に身に行われたお姿を、先人の回想から。

「はたらく」とは

 

現代に残されている教祖の数々の逸話の中に、「三つの宝」というお話があります。

あるとき教祖は、大工の飯降伊蔵さんに掌を拡げるよう促され、籾を三粒持って、「これは朝起き、これは正直、これは働きやで」と仰せになり、一粒ずつ伊蔵さんの掌の上に載せられました。そのうえで、「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで」と仰せられました。

伊蔵さんは、この教えを生涯守って通られましたが、現代に生きる私たちにとっても、「朝起き、正直、働き」は、まさに日常生活で心がけるべき信仰の要であると言えます。

また、そのうちの一つ「働き」について、教祖は、「もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで」と仰せになり、さらに「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(側楽)と言うのや」とも教えられています。

この「はたらく」ことの具体的なありようを、教祖は口でお説きになるだけでなく、実際に身に行って示されました。明治十三年にお屋敷へ引き寄せられ、長らく教祖のお側でお仕えした山澤ひささんは、晩年、在りし日の教祖のお姿を生き生きと回想しています。

「教祖は、非常にご器用なお方であらせられました。ある時はお徒然のままに布屑を縫い合わせては、鶏や蝉をお作りになったこともございます。しかも、その鶏をお作りになる時は、庭に遊んでいる鶏の姿をご覧になり、蝉をお作りになる時は、蝉を笊の中に伏せてこれをご覧になるのでした。

それにつけて思い出しますのは、ある時、虎をお作り遊ばされたことがありますが、それは襖の虎の絵をご覧になってでありました。そしてその時、教祖は「生きた虎を一度見たいものやなあ!」と仰せられたことがございます。

かように教祖は、お暇があると屹度、何かお手をお働かせてくだされていたのであります。そして少しの時間も、無駄にはお過ごしにならなかったのであります。

教祖が機織りを遊ばされたり、いろいろな生物の形をお作りになりましたのは、決してご自分のためや、ご自分のなぐさみにされたのではなく、これを人々におあげになって、人々を喜ばすためであらせられたのであります。すなわち、教祖のお働きの内には、常に人々を喜ばせ満足さすというお慈愛のお心が籠っていたのでございます。」

教祖は、いついかなるときも、ひたすら人々に与え尽くしてお通りになり、人の喜びを我が喜びとされました。お手作りの品々は、いずれも人間として「はたらく」ことの深い意味合いを、いまを生きる私たちにお伝え下さっています。

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