第1392回2026年6月26日配信
皆身上から随き来る
身体を頼りに「裸一貫」から人生を築いてきたと自負する人は多い。皆、身体は自分のものと信じて疑わないが…。
皆身上から随き来る
親神様は、私たち子供が可愛い故に、陽気ぐらしへの道を急き込まれる上から、様々な病気や事情によって、この道にお引き寄せ下さいます。
お言葉に、
「この道は皆身上から随き来る。身上でなくして随いた者は、ほんの一花のようのもの」(M33・11・26)
とあります。身上とは、病気のことを指します。
身体の他に頼るものがないことを、「裸一貫」と言います。自分は全く何もない所、裸一貫から自らの力だけでここまで人生を築き上げてきたんだ、と自負する人も多くいることでしょう。何はなくとも、この身体だけは自分のものであると思って疑わない。これが世の常識であるかも知れません。
しかし、この教えはその常識を打ち破るものです。教祖直筆による『おふでさき』に、
にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら (三 41)
めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん (三 137)
と記されているように、人間の身体は我がものではなく、親神様からの「かりもの」であると教えられます。
『天理教教典』第七章「かしもの・かりもの」には、「いかに己が力や知恵を頼んでいても、一旦、身上のさわりとなれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、又、畳一枚が己が住む世界となって、手足一つさえ自由かなわぬようにもなる」との一節があります。
健康に恵まれ、人生が上り調子の時、人は時として慎みの心を失い、自分の力だけで生きているかのように思い誤りやすいのです。しかし、体温が一度でも上昇したり、心臓の鼓動が若干変化するだけで、私たちは日常生活に大きく支障をきたしてしまいます。
この身体の微妙な働きを司っている、その正体は何か。これこそ元の親・実の親である親神様の大いなるご守護なのです。この身体は親神様からの「かりもの」であること、そして、その親神様に見守られながら、私たちは日々生かされて生きていること。この「かしもの・かりもの」の真実に心が開かれるところに、私たちの日々の暮らし方は大きく変わり始めるのです。
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