第1151回2021年11月6日・7日放送
おうちゃんの匂い
重度の障害を持つ五歳のおうちゃんが、我が家で生活することに。小さな孫たちが親身にお世話をしてくれた。
おうちゃんの匂い
岐阜県在住 吉福 多恵子
訳あって、おうちゃんとおうちゃんのお母さんが、一か月我が家で生活することになりました。
おうちゃんが来るちょっと前から、酸素ボンベなどたくさんの荷物が届きました。おうちゃんは、生まれた時から身体のあちこちに障害があって、五歳になった今も、自分で座ったり歩いたりすることができません。気管切開をしていて、ご飯も口から食べることができないので、お母さんが吸引器で痰をとったり、管を使って胃に直接食事を入れてあげるそうです。
お母さんは、そうやっておうちゃんが生まれてから、ひと時も離れずにおうちゃんのお世話をしています。お仕事に行っているお父さんも、それはそれは優しくて、おうちゃんをお風呂に入れてあげたり、夜、なかなかぐっすり眠れないおうちゃんを、お母さんと交代で抱っこしてあげるのだそうです。
いま、おうちゃんのように心身に重度の障害がある「医療的ケア児」と呼ばれる子どもたちは、日本に二万人いると言われていて、みんな一生懸命生きようと頑張っていることを、私は今回初めて知りました。
小さな命を守るため、お世話をしている家族も含めて、誰もが笑って暮らせるように、たくさんの人がたすけ合っていくことが必要だと思います。周りにいる人が関心を寄せ、様子を聞いたり、労ってあげたり、ちょっと笑顔を向けるだけでも、毎日介護で緊張している家族の人たちの心がほぐれるのではないかと思います。
さて、おうちゃんが来ることを心待ちにしていた我が家の孫三人きょうだいは、時間があればおうちゃんのお部屋に入り浸っています。何をしているのか覗いてみると、おうちゃんのお布団で一緒に寝転んでいたり、おうちゃんのお母さんとおしゃべりしたり、わざわざ本を持ってきて読んでいたり。
また、一日の大半を食堂の定位置で過ごすおうちゃんですが、三兄弟の末っ子たいようくんは、常におうちゃんの車椅子の隣をキープして、話しかけたり、おうちゃんの車椅子に載せてある器械を隈なく観察し、何か変化があればお母さんに教えてあげています。おうちゃんが寝ている時は、お母さんの代わりにずっと見守ってあげたり、おうちゃんの本当のお兄さんのようです。
おうちゃんがいることで、家族が食堂に集まることが多くなった気がします。誰もがおうちゃんのそばを通る時に、ちょんちょん、とどこかを触っていったり、みんながおしゃべりしている時でも、「ね、おうちゃん」と声を掛ければ、おうちゃんも、ちゃんと会話に仲間入りします。そんな何気ない時間がとても穏やかで、おうちゃんもその雰囲気を感じて楽しんでいるように見えました。
思えば、たくさんの人がお世話に関わることで、おうちゃんの生活は成り立っているのですが、決して一方通行ではなく、私たちもおうちゃんからたくさんのものをもらっている気がします。神様のご守護や、人の心の温かさをより深く感じることができたのも、おうちゃんのおかげです。
おうちゃんのお風呂はちょっと大変です。おうちゃんには、四六時中外すことのできない管がつながっているので、それが外れないように抱っこする係と、洗う係の二人で連携して入れてあげます。きれいに洗ってもらって湯舟につかると、待ってましたとばかりに手や足をバタバタさせて、とても気持ち良さそう。そんなおうちゃんを見ていると、「今日もよく頑張ったね」と、周りのみんなも笑顔になるのでした。
ここで、知らない人の疑問にお答えします。「おうちゃんには、感情ってあるの?」はい!もちろんです。おうちゃんも、「ああ、今日は暑いなあ。お母さん、もうちょっと涼しくしてよ」とか、「さっきからお父さんとお母さん、楽しそうに話をしてるなあ。僕をほったらかしにするなんてずるいよ」などと、色々感じているのですが、言葉に出すことはできません。
それでもおうちゃんは、少し動かすことのできる手や腕を使って、感情を表します。私も初めのうちは全く分からなかったのですが、おうちゃんのお母さんに教えてもらって、よーく見ていると、「いやだよ」という時には、首を左右に振ったり、手でしっしっと払いのける格好をしたりします。また、「うん、分かった」という時には、右手をにぎにぎしたり、うんうんと首を縦に振ったりするのです。
おうちゃんは、少しずつそういう表現の仕方を自分で身につけていったのですね。すごいなあと感心しました。そして、おうちゃんのほんの一瞬の笑顔でも、大騒ぎをして喜ぶお父さんとお母さん。他の誰かと比べるのではなく、おうちゃんの小さな成長に目を向けているご夫婦は、喜び探しの達人だなと思いました。
一か月は瞬く間でした。おうちゃんのお父さんが迎えに来てくれて、おうちゃんは帰っていきました。
何日か経って、孫のたいようくんはお母さんとお風呂に入るため、おうちゃん達がいた離れのドアを開けました。
すると、「お母さん、おうちゃんの匂いがするよ。おうちゃん帰ったはずなのに、まだいるのかな? ぼく、見てくるね」と言うが早いか、おうちゃんたちがいた一番奥の部屋へと走っていきました。
しばらくして、「やっぱりいなかった」と肩を落として戻ってきたたいようくんに、お母さんは聞いてみました。
「おうちゃんの匂いって、どんな匂いなの?」
「あのねえ、ちょっと可愛い匂いがするんだよ」
たいようくんは、おうちゃんのことをそんな風に感じていたんだね。小さい二人の絆が太く結ばれていることが、とても嬉しく思えた夏の夜でした。