第1335回2025年5月23日配信
この家へやって来る者に
私たちの親である教祖は、「ぢば」に帰って来た子供たちをどうお迎え下されたのか。数々の逸話が残されている。
この家へやって来る者に
「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である」(教祖伝3章「みちすがら」)
これは、教祖がこの教えを伝え始められた当初、「貧に落ち切れ」との親神様の思召しのまにまに、食べ物や着る物、金銭に至るまで、次々と困っている人々に施される道中に示されたお言葉です。これこそ、私たち一人ひとりを可愛い我が子と思われ、その帰りを待ちわびておられる真の親のお言葉と言えるでしょう。
さて、人類のふるさと「ぢば」に帰って来た子供たちを、教祖はいかにお迎え下されたのか。具体的に数々の逸話が残されています。
文久三年、辻忠作さんが初めてお屋敷へ帰り、妹のくらさんの気の間違いのおたすけを願い出ると、教祖は、「此所八方の神が治まる処、天理王命と言う。ひだるい所へ飯食べたようにはいかんなれど、日々薄やいで来る程に」と仰せられました。
このぢばは、世界八方をご守護下される親神天理王命様がお鎮まりになる所であり、どんな病も必ずたすけて頂ける。しかし、お腹が減ったからご飯を食べて、さあ元気になった、という訳にはいかない。心迷わずしっかり信心する中に、日々だんだんと薄紙をはぐようにご守護頂ける、とお聞かせ下されたのです。
また、文久四年、山中忠七さんの妻・そのさんが、二年越しの痔の病が悪化して危篤の容態となりました。この時、忠七さんが初めてお屋敷へ帰らせて頂くと、教祖から次のようなお言葉がありました。
「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わり、おまえは、神の御用を聞かんならんで」(教祖伝逸話篇11「神が引き寄せた」)
親神様が深いいんねんを見定めて、引き寄せたのであるから、病気は心配することはないと、お話し下されています。
教祖は、直筆による「おふでさき」に、
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
と記されています。
真実の親の思案というものは、かわいい我が子たちをどのようにたすけようかと、いつもそのことばかりを思っている。誠に親神様の親心は、私たちには計り知れないほど、広く深いものなのです。
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