(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1087回

心の「癒やし」とは?

「癒やし」という言葉が流行している時節、それだけ心にゆとりを持って生きられない人が多い証拠である。

神様からの宿題
心の『癒やし』とは? 
(「人間いきいき通信」2001年1月号より)

「疲れちゃったねぇ、なんか癒やされたいねぇ……」
「うん、私も癒やされたいよ……」
先日乗り合わせた電車の中で聞いた今風女子高生同士の会話。横で聞いていて、「お疲れさまだね……」としみじみ声をかけたくなってしまった。

そう言えば最近、街のあちこちに「癒やし」という言葉が目立つようになった。本屋に入れば「心の癒やし」コーナーなどに、たくさん本が並んでいるし、ほかにも、香りが出るロウソクや入浴剤、旅行のパンフレットや飲食物にも「癒やし」をうたい文句にした商品が数多く出回っている。
ある知人などは、「癒やしといえば温泉!」とばかりに温泉巡りツアーに出かけ、頑張って風呂に入り続けた揚げ句、湯あたりして疲れて帰ってきたという笑えない〝癒やし体験〟をしたそうだ。

とにもかくにも「癒やし」という言葉が流行し、癒やしグッズがそれだけ売れるということは、癒やされたいと思っている人が世の中にたくさんいるということだろう。

たしかにいまの社会は、人が心にゆとりを持って生きにくい状況にあるようだ。
「人間がもっと豊かに、便利に、そして幸せに暮らすため」を合言葉に、生み出される新製品の数々。内容や質を吟味する間もないほど次々にマスコミなどから流れ出す膨大な量の情報に、逆に人間が縛られ、追い立てられ、踊らされている感もある。その揚げ句、疲労し傷ついた心の「癒やし」をさまざまなものに求めているとすれば、まったく皮肉なことだ。

疲れた心を持つ大人が多い社会に、心を疲れさせた子供たちが増えるのは、至極当然のことである。正体不明の慢性的な疲労感は、人の心から生きるエネルギーまで奪い取っていく。自分自身の生きている意味さえ見失い、優しさや癒やしを求めて苛立った行動をとる子もいれば、自分だけの世界に閉じこもっていくしかできない子もいるだろう。

そんな子供たちの心は、お金や品物、機械や法律などでは決して癒やすことはできない。手間暇をかけようとせず、合理的で手っ取り早く解決しようとばかりする大人たちのずるさや怪しさに、子供たちの心は敏感に反応し、警戒するからである。

高価な物を買わなくても、空の青さや新鮮な空気、山々の景色、草花の色、家族や友人の優しい言葉掛けや笑顔など、〝癒やしグッズ〟は私たちの身近に、いつでも限りなく存在している。それらはすべて、神様から人間に与えられた、深く優しい思召なのだが、その思いに気づくか気づかないかは、一人ひとりの心の自由にまかされていることなのである。

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