(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1103回

笑顔の処方箋

いつも笑顔でいられたら、と誰しも思うもの。だが、そうはいかないことが多いのも、これまた人生である。

神様からの宿題 ~笑顔の処方箋~
   (人間いきいき通信2002年4月号より)

人は誰しも、いつも笑顔で幸せに生きていたいと思うものだ。しかし、そうはいかないことが多いのも、これまた人生である。

たとえば、突然の病気や家族の問題などに直面したときに、「大変だね。頑張ってね」という周囲の慰めや励ましの言葉さえも、かえってつらく感じたり、腹立たしく思ったりしてしまうことがある。
渋い顔や苦しい顔をするより、笑っていたほうが自分にも周囲にも良いと頭では分かっているのだが、実行するのはむずかしい。

以前、知人が重い病気になり、体の回復と平癒を神様にお願いするために毎日病院に通っていたときのこと。
四人部屋の同室の患者さんに、とっつきにくい感じのAさんがいた。Aさんは、大きな手術を繰り返し、体中を包帯で巻かれ、車いすでなんとか移動できる状態だった。
私が知人と話し始めると、いかにも迷惑そうに咳ばらいをしたり、ラジオのボリュームを上げたりした。あいさつをしても、無視されたり、にらまれたりするので、正直、苦手だった。

ある日、たまたま三歳の息子を連れて病院を訪ねた。
知人と話していてふと気がつくと、息子がAさんのところへ行き、
「おじちゃん、どうしていっぱい包帯してるの?」
「どうしてアンヨしないの?」と話しかけている。
〝しまった!〟と、冷や汗をかいて振り向くと……。

「これはね、おじちゃんの体の中に悪い病気の虫が入って、大きくなったから〝チョキン〟って切ったんだ」
「痛かった?」
「痛かったよ! だけど頑張ったよ。いまね、歩く練習してるんだよ」

Aさんは息子に、こう話してくれていた。
そして「おじちゃん、ガンバってね!」と言う息子に、「うん、ありがとう。頑張るよ」と、ニコッと笑って応えてくれた。

「子供が失礼しました」と謝る私にも、
「いえいえ、あんなふうに無防備に笑いかけられたら参りますね。私も久しぶりにいい気分になりました。実は、自分の体のことで毎日イライラしてばかりいたんです。人に八つ当たりしても同じってことは分かってるんですけどね。自分でもどうしようもなくて」と、初めて笑顔で話してくれた。

私は、それまで先入観をもってAさんを見ていた自分を恥じた。
〝下手に関わって嫌な思いをしたくない〟と防備して、とっつきにくい人だと決め込んでいたのだ。病む人に対する「素直さ」も「優しさ」も欠けていたことを、息子を通して神様から教わった気がして、心から反省し、感謝した。

「ほほ笑みを忘れた人ほど、それを必要としている人はいない」という言葉がある。Aさんは、決して笑える心や笑顔をなくしてしまっていたのではなく、笑顔を出すタイミングを失っていただけなのだ。

いまアメリカでは、「コンパニオンドッグ」という、患者に忠実に寄り添う訓練を受けた犬が活躍しているそうだ。
患者が病気の治療や介護など、他人から世話をされるだけでなく、自らが愛情を与えたり、世話をしたりする対象を持つことで、人間が本来持っている自己治癒力が高まるという研究結果が出ているそうである。

そういえば、私にもこんな覚えがある。
以前、手術を受けて退院した後、甥っ子が歩き始めたころで、リハビリを兼ねて毎日のように一緒に散歩した。かわいい小さな手をつないで、それこそお互いおぼつかない足取りで、テレビの子供番組の曲を二人で歌いながら歩くとき、心の中から自然に力が湧いてきたものだった。

いまでも親バカならぬ「伯父バカ」状態なのだが、甥っ子の屈託のない素直な笑顔は、心身ともに弱っていた私を救ってくれた〝処方箋〟だったと思っている。

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