(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1082回

心の絆を強めるために

人と人との心の絆が弱まりつつある現代。その修復には、じっくりと相手の言葉に耳を傾けることが大切ではないか。

神様からの宿題
   心の絆を強めるために
 (「人間いきいき通信」2000年10月号より)

 子供たちとプロ野球観戦に行ったときのこと。応援するチームにスタンドのあちこちから、「気合を入れろ!」「やる気を出せ!」と威勢のいい声が上がる。結果としてひいきの投手が打ち込まれたり、打者が凡退したりすると、「気合が足りないぞ!」と、可愛さ余っての野次が飛び交う。  
早い話、「結果良ければすべて良し」の世界なのだが、同じことが家庭の中でもよく見られる。たとえば、子供の勉強やスポーツなどに、親が熱心に手出し口出しをして、それこそ「気合」が入っている家がある。しかし、こんなところに限って案外、当の子供は疲れて気合が抜けた顔をしていることが多い。なぜなら、結果の如何に心が追い詰められているからである。

「気合が入る」ということは、言い換えれば「そのことに集中する」ことだ。ところが周囲の気合が強すぎると、当人に余計な緊張を強いることになりやすい。集中力はその人の実力だけでなく、隠れた力をも引き出すことがあるが、過度の緊張は普段の力まで出せなくしてしまう。
この「集中」と「緊張」の違いは、物事に対する想像力によるのではないだろうか。たとえば「この試験に落ちたらどうしよう」「ここで三振したら、みんなに怒られるだろうなぁ」と思うか、「よぉーし、この試験のために頑張ってきたんだから精いっぱいやるぞ!」「ここでヒットを打ったら気持ちいいだろうな。一発狙うぞ!」と思うかで、その子の表情や態度はまったく違ったものになるだろう。

同じ状況のなかで、先を案じる心を使うか、それとも先を楽しむ心を使うかは、それぞれの自由にまかされている。しかし、気をつけねばならないのは、周囲の人間の生き方や考え方が、その人の心の使い方に大きく影響しやすいということである。
家族や周囲が、時にはケンカや失敗があっても、明るく陽気に語り合い支え合う雰囲気を持っているか、それとも愚痴や不足を言い合い、暗くて陰気な会話ばかりしているか。この違いが人の成長とその方向を決めていく場合も多い。
最近は夢のない子供が増えた、と大人は嘆くが、子供たちは決して夢をなくしてしまったのではない。自分のことしか考えなかったり、したり顔で説教ばかりする大人が増え、子供と夢の話を共有して、心の持つ力を一緒に膨らませてくれる大人の絶対数が減っているのである。

いまの社会の一番の問題は、人と人との心の絆の弱まりにある。家族も含めた人間関係に大きな歪みが出ていることは、昨今のさまざまな事件が証明している。若者がよく口にする「キレる」という言葉は、心の絆の切断を意味しているように思えてならない。子供たちの心の絆はいろいろな要因によって傷み、切れやすくなっているのだ。
この絆の修復には、時間はかかるが、まず一対一の関係のなかで、じっくりと相手の言葉に耳を傾け、相手の思いを感じ取る練習を積み重ねていくことが大切だ。相手の言葉の先取りをして得々としたり、話を漫然と「聞く」のではなく、心を集中して相手の話を「聴く」ことだ。

「うちの子はちっとも自分のことを話さない」「何を考えているのか、さっぱり分からない」と相談に来られる親御さんが多いが、実際にその子としばらく付き合ってみると、魅力的で面白い話をたくさんしてくれるようになるから不思議である。  
何も言わない子のそばには、必ずしゃべりすぎる人がいる。その子の心の内側に広がる世界にもっと耳を傾け、表現しようとしていることを邪魔しないことである。

人の出会いは、すべて神様のお計らい。目には見えないが互いの間にある絆を、しっかり見つけて強めていくことが大切だ。そのときにも、強い集中力と豊かな想像力は、心の道具として必要不可欠なものなのである。

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