(天理教の時間)
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第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1079回

人生の登り坂と下り坂

人生の節々で、誰もが遭遇する人生の下り坂。自らの心を見つめ直し、慎重に歩を進めることを心掛けたい。

神様からの宿題
 人生の登り坂と下り坂

最近、ある登山家の本を読んでいたら興味深いことが書いてあった。「登山では、頂上を目指して登っているときよりも、下山するときのほうが遭難の危険性が高い」というのである。 その理由として、登山後の体力の消耗が、本人が感じているよりも激しいことや、登頂という目的達成の後の心のゆるみや虚脱感、それに加えて、山頂から見た下界の見晴らしの良さに錯覚して距離感を失い、思うように歩が進まないことに精神的な疲労が倍増してくることなどが挙げられていた。

登山の初心者ほど、下山の道を見失ったときにパニック状態になりやすく、落ち着きなく道を探して歩き回るうちに、体力の消耗を早めてしまうそうである。

たしかに、人は何かの目標を達成した後や、大きな失敗や苦しみを経験したときなどに、自分の生き方を見失ったり、焦って行動したことがマイナスに働いて、にっちもさっちもいかなくなったりすることがある。

たとえば、仕事一筋で定年を迎えて、何をしていいのか分からず抜け殻のようになってしまった人、念願のマイホームを持ってホッとした途端に、子供が登校拒否や家庭内暴力を始めて途方に暮れている夫婦、健康だった体に思いがけない大病を患った人など、それまで上に向かって登ることばかりを心の支えに頑張ってきた人が、その登った距離の分だけ、自分の心を見つめ直しながら坂道を下りなければならないことがある。そんなとき、苦しまぎれにあわてて行動すると、状況が悪化する場合が多い。

ベテランの登山家によると、雪山などで道を見失ったときは、まず雪洞(せつどう)やテントの中で休養をとり、心身の回復を図ることが大切らしい。気力が戻って落ち着いてから周囲を見回すと、思いがけないほど近くに、正しい道を見つけることも多いのだそうだ。

登ることに比べたら、一見、楽なように見える下りが実は大変なのである。人生の節々のなかで、誰もが自分自身の下り坂に正面から向き合わなければならない時期を必ず迎える。そのときは、一歩を踏み出す前にゆっくり深呼吸をして、心と体の休養を図り、そのうえで一緒に道を下ってくれる人と素直に話し合い、呼吸を合わせて、周囲の状況や景色に心を配りながら歩を進めることが大切だ。小さなプライドを捨てて、決して一人で意気込まず、自分自身を孤独に追い込まないことである。

最近の青少年事件の悲しくつらい報道を耳にするたびに、上に向かって道を進むことしか学んでこなかった子供が、道の下り方が分からずに荒れているような気がして仕方ない。自分自身の小さなプライドにしがみつき、自分を認めてくれない周囲に苛立ち、強い孤独感や根深い被害者意識にさいなまれて、事件を起こすまで自らの心を追い詰めていくのであろう。

「忍耐とは希望を持つ技術であり、希望のない忍耐は無意味である」という言葉がある。苦しいときほど希望を探し、喜びを探すことが自らの力を高めていくのだと信じたい。彼らの心の中に、明るく前向きな「希望」という言葉は存在していたのだろうか?

「登り坂と下り坂」。人はいつも道の途中にある。これもまた、神様の広く温かいお計らいに違いない。

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