第1326回2025年3月21日配信
生来の短気者
生来の短気者であった梅谷四郎兵衛さんは、入信直後、教祖から生涯の指針となるお言葉を頂戴した。
生来の短気者
大阪で左官業を営んでいた梅谷四郎兵衛さんは、決して裕福ではないものの、家族と仲睦まじく暮らしていました。ただ一つ気がかりなのは、兄の眼の患いで、その平癒を願い、あちこちの神仏へお参りをしていました。
そんな折、明治十四年二月、「大和に生き神様がいる」との噂を耳にし、初めてお屋敷へ帰らせて頂きました。もともと信心好きな四郎兵衛さんでしたが、「かしもの・かりもの」「八つのほこり」など、それまで聞いたのとは全く違う真実の神の話に感銘し、その場でこの道に生涯を捧げる決意を固めたのです。
そんな四郎兵衛さんと教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。
教祖は、入信後間もない四郎兵衛さんに、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」とお諭し下さいました。生来、四郎兵衛さんは気の短いほうでした。
明治十六年、折から普請中の御休息所の壁塗りひのきしんをさせて頂いていたところ、「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て」との陰口を聞いて、激しい憤りから、深夜ひそかに荷物を取りまとめて大阪へ戻ろうとしました。
足音を忍ばせ、中南の門屋を出ようとした時、教祖の咳払いが聞こえてきました。「あ、教祖が」と思ったとたんに足は止まり、腹立ちも消え去ってしまいました。
翌朝、四郎兵衛さんが、お屋敷の人々と共にご飯を頂戴しているところへ教祖がお出ましになり、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか、神さんめどやで」と仰せ下さいました。(教祖伝逸話篇123「人がめどか」)
四郎兵衛さんは、のちに船場大教会の初代会長となりましたが、教えを伝える上から、家族や教会につながる人々に、しばしばカミナリを落としました。とはいえ、教祖の教えを生涯の心として、自分の身勝手や都合だけで腹を立てることは決してしませんでした。
こんな話も残っています。四郎兵衛さんが臨終を迎えようとする時、身の回りの世話をしていたある婦人に、か細い声でこう伝えました。「長い間世話をかけたなあ。わがままなワシによう仕えてくれた。礼を言うで。今度は、親切な、やさしい人間に生まれてくるから、よろしく頼むで」。
生来の短気者であった四郎兵衛さんだからこそ、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」との教祖のお言葉が、心に深く刻み込まれたのではないでしょうか。
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