(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1094回

言葉が伝えていくもの

すべてが便利で合理化され、言葉が貧しくなっていくこの時代、子供たちに生き生きとした言葉を残すには。

神様からの宿題 -言葉が伝えていくもの-
  (「人間いきいき通信」2001年10月号より)

まだ子供たちが幼かったある日のこと。キャンプのまね事をして、飯ごうでご飯を炊いて食べようということになった。何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりのことだった。
火加減をみているうちに、誰から教わったのかは忘れたが、「飯炊きは はじめチョロチョロ 中パッパ ふいてののちは火を弱め 赤子泣くともフタ取るな」という言葉が、自然に口をついて出てきた。

「なにそれ?」と、子供たちは最初笑っていたが、そのうちに覚えてしまって、一緒に歌いながら楽しくご飯を炊いたことを思い出す。頭で覚えた言葉はすぐに忘れてしまうものだが、経験と結びついた言葉は身について忘れないもののようだ。

実際、あれから十年は経った先日、同じように「はじめチョロチョロ……」と口にしながら飯ごうでご飯を炊いている息子の姿を見たときには笑ってしまった。

そういえば、私の母はいろいろな場面で、よくことわざを口にする。思春期のころは、説教くさくて煩わしく感じたこともあるが、いつの間にか心に残っている言葉も多い。

「『聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥』。分からないことは、そのときにちゃんと聞いておかなければ、あとできつい思いをするよ」

「努力する態度を忘れてはいけない。『玉磨かざれば光なし』だよ」

「自分のしたことを自慢するのは『手前味噌』。みっともないから気をつけなさい」

などなど、これがまた本当に絶妙のタイミングで言うものだから、いつも参ってしまう。

先日、テレビでことわざの特集をやっていて、いまの若い人たちが、いかにことわざを誤って理解しているかが面白おかしくニュースになっていた。

たとえば、「情けは人のためならず」の意味は、本来「人に情けをかけることは巡り巡って自分のためになる」ということなのだが、半数近くの人が「その人のためにならないから情けをかけたり親切にしたりしないほうがいい」ととらえていて、驚いてしまった。
また、「かわいい子には旅をさせよ」という言葉も、本来の厳しいしつけの意味を離れ、まだなにも分からない幼い子を連れて、海外旅行をすることのように考えているパパやママもたくさんいたようである。

ことわざに限らず、長い時間のなかで生き残ってきた言葉というのは、真実を含んだ力強いものに違いない。先人たちが大切に守り続けてきた言葉は、それだけでも、のちの世代に大事に伝えていくべきものだし、そのための勉強も、自らの経験も必要である。言葉が貧しい家庭や社会に、言葉が豊かな子供や文化は育ちにくいはずだ。

いまはもう亡くなってしまったが、私の大好きだったあるおばさんの口癖は「成ってくるのが天の理」だった。「目の前に起こること、すべてが神様の思召」という意味の言葉である
。長年苦労に苦労を重ねて、自分の贅沢など何一つ考えない人だったが、若くて未熟だった私を「成ってくるのが天の理ですよ」と、どんなときでもニコッと笑って元気づけてくれたことは、いまでもかけがえのない心の財産になっている。

すべてが便利になって合理化が進んできたこの時代、軽くて浅いその場限りの言葉が乱れ飛んでいるが、果たして子供たちの世代に、どれだけ自分自身の生き生きとした言葉を伝えていくことができるのかと考えてみると、少し心許ない気もする。

生きた言葉をたくさん身につけるためには、まずお互いが相手の言葉を大事にし、自らの心でしっかりと聴き取っていくことが大切だ。中身のある楽しい会話は、いつも聞き手の態度が創るものなのである。

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