第1334回2025年5月16日配信
一あっての二
一があって二がある。この順序は誰も覆すことは出来ない。旬に応じ順序良く歩む中に、ご守護頂く道がある。
一あっての二
この教えでは、物事にふさわしい旬や、順序というものをとても重要な角目としています。旬に合わせて順序良く処すれば、物事はスムーズに運び、万事順調な道を歩ませて頂けるのです。
神様のお言葉に、
「席と言う一あっての二、何程賢うても、晴天の中でも、日々の雨もあれば、旬々の理を聞いてくれ。聞き分けねば一時道とは言わん」(M26・12・16)
とあります。
一があって二がある。二があって一があるのではない。それはいくら賢い者であっても、その順序を覆すことはできません。人間の知恵や考えだけでは、どうにもならないものがあるということです。
私たちの生活の源であるところの自然現象、晴天や雨のご守護、暖かい寒いというのは、人知の支配が及ぶところではありません。また、農作物を育てるには、それぞれの旬に応じて丹精を込めなければなりません。
ある道の先人は、このように語っています。
「考えてみまするに、神様のお恵みの大きいことは、人間心では計り知ることができませぬ。この寒い冬の日に、夏のあの暑い日がどこにあるかと思えましょう。また、夏の日に、この冬がどこにあると思えましょうか。けれども、天然自然の理が巡れば、ここに春夏秋冬の旬というものができて、それぞれに応じてご守護を下さるのであります。
これは、人間の力でどうすることもできません。ただ今、庭を見渡しますると、葉は落ち尽くしており、木の根を分けても、どこにも葉や花の影は見当たりませぬが、時至りて春来たれば、花も咲き、葉も茂り、実も結ぶのであります。
この道は、ただ人間心でこしらえた教えやない、元の神・実の神、親の道でありまして、天に口なし、教祖の口を借りて説いてくれた道でありますから、守らにゃならん、聞かにゃならん、通らにゃならん教えであります。
何ごとも天理に任せてさえおれば、なんにも案じることも心配もいりませぬ。それを、人間心としてどうやらすると、天理に逆らうと、例えば、南風の吹いているのに南に向かって行くようなもの。ゆえに舟が進まぬ。どうやらすると覆ることがあるけれども、南風の時には北へ向かって舟を進めさえすれば、早く港へ舟を着けることができる。天の理とてもそのとおり、理に従って行きさえすれば、苦しみもなく、安全にこの世を渡ることができるのであります。」
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