(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1386回

歩き続ける道

この信仰は「お道」と呼ばれるが、教祖は「おふでさき」において、しばしば道に例えてお諭し下されている。

歩き続ける道

 

道というものは、よく人生に例えられます。この天理教の教えは、信仰者の間では「お道」と呼ばれています。信仰生活とは自ら道を求める歩みであり、道は通るべきもの、そして教えは実行すべきものである、という意味からすると、「お道」とは実に味わいのある言葉です。

教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」において、道に例えて次のようにお諭し下されています。

 

  やまさかやいばらぐろふもがけみちも
  つるぎのなかもとふりぬけたら   (一 47)

 

  まだみへるひのなかもありふちなかも
  それをこしたらほそいみちあり   (一 48)

 

  ほそみちをだん/\こせばをふみちや
  これがたしかなほんみちである   (一 49)

 

「山坂や茨の生い茂ったあぜ道や、崖っぷちの道。刀を抜いて切りかかられるような危険もあるかも知れない。さらにその先にも、燃えさかる火の中や水が深くよどんでいる淵中など、様々な危ない道が待ち受けている。そうした道を通り抜けたら、やっと細い道らしきものが見えてきて、その細道を一歩々々着実に歩いていけば、ついには広い大きな道に到達する。これこそ目的地に通じる真の道なのである」

とにもかくにも、道と言われるからには、それはどこかに通じているはずです。しかし、そこに到達するまでには、途中色々な経緯のあることが予想されます。山道も、坂道も、袋小路もあるでしょう。舗装されて真っすぐに伸びている道もあれば、起伏やカーブの激しい道、でこぼこの悪路だってあるかも知れません。しかし、目的地へ近づくためには、それは避けては通れない道なのです。

誰しも、次のような経験を持っていないでしょうか。坂道を息をはずませて歩き、重くなった足を引きずって、やっと峠にたどり着いた瞬間、ぱっと視界が開け、素晴らしい光景が眼下に広がり、思わず我を忘れるといった経験です。それは、つらい道中もあったけれど、歩き続けてよかった、諦めて引き返さずによかったと、心の底から思える瞬間です。

日々の信仰生活の歩みにおいても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。教えに沿って、迷うことなく、この道を歩いていきたいものです。この道は「通ってこそ道」、「続いてこそ道」とも言われます。

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