第1386回2026年5月15日配信
歩き続ける道
この信仰は「お道」と呼ばれるが、教祖は「おふでさき」において、しばしば道に例えてお諭し下されている。
歩き続ける道
道というものは、よく人生に例えられます。この天理教の教えは、信仰者の間では「お道」と呼ばれています。信仰生活とは自ら道を求める歩みであり、道は通るべきもの、そして教えは実行すべきものである、という意味からすると、「お道」とは実に味わいのある言葉です。
教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」において、道に例えて次のようにお諭し下されています。
やまさかやいばらぐろふもがけみちも
つるぎのなかもとふりぬけたら (一 47)
まだみへるひのなかもありふちなかも
それをこしたらほそいみちあり (一 48)
ほそみちをだん/\こせばをふみちや
これがたしかなほんみちである (一 49)
「山坂や茨の生い茂ったあぜ道や、崖っぷちの道。刀を抜いて切りかかられるような危険もあるかも知れない。さらにその先にも、燃えさかる火の中や水が深くよどんでいる淵中など、様々な危ない道が待ち受けている。そうした道を通り抜けたら、やっと細い道らしきものが見えてきて、その細道を一歩々々着実に歩いていけば、ついには広い大きな道に到達する。これこそ目的地に通じる真の道なのである」
とにもかくにも、道と言われるからには、それはどこかに通じているはずです。しかし、そこに到達するまでには、途中色々な経緯のあることが予想されます。山道も、坂道も、袋小路もあるでしょう。舗装されて真っすぐに伸びている道もあれば、起伏やカーブの激しい道、でこぼこの悪路だってあるかも知れません。しかし、目的地へ近づくためには、それは避けては通れない道なのです。
誰しも、次のような経験を持っていないでしょうか。坂道を息をはずませて歩き、重くなった足を引きずって、やっと峠にたどり着いた瞬間、ぱっと視界が開け、素晴らしい光景が眼下に広がり、思わず我を忘れるといった経験です。それは、つらい道中もあったけれど、歩き続けてよかった、諦めて引き返さずによかったと、心の底から思える瞬間です。
日々の信仰生活の歩みにおいても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。教えに沿って、迷うことなく、この道を歩いていきたいものです。この道は「通ってこそ道」、「続いてこそ道」とも言われます。
HOME

