第1318回2025年1月31日配信
家業と親への孝心
教祖は、こんにゃく屋を営む男性に、商売についてのお話と親孝心の道を同時に説かれた。その真意とは。
家業と親への孝心
明治十五年、兵庫の冨田伝次郎さんが、息子の病気をたすけられ、はじめて教祖のいらっしゃるお屋敷へ帰らせて頂きました。
教祖は、伝次郎さんの家業をお尋ねになり、「はい、私は蒟蒻屋をしております」と伝次郎さんが答えると、「蒟蒻屋さんなら、商売人やな。商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」と仰せになりました。
ところが伝次郎さん、どう考えても「高う買うて、安う売る」の意味が分かりません。そんな事をすれば損をして、商売にならないではないか。そこで、信心の先輩に尋ねたところ、「問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを食うて損する事のない、共に栄える理である」
こう諭されて、伝次郎さんは初めて「成る程」と、得心したのです。(教祖伝逸話篇104「信心はな」)
さて、この逸話には、もう一つ大事なお言葉があります。「高う買うて安う売りなはれや」と仰せられたあとに、教祖は続いて、「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで」と諭されたのです。
この時、伝次郎さんは、遠路はるばる、76歳になる母親を伴っていました。そんなこともあって、教祖は商売と親孝心のお話をされたのかもしれません。
親への孝心の延長上に、親なる神様への信仰がある。そして、自らも親の心にならい、子供を親身になって世話をする。それはとても手の掛かることであり、一見損なことのようにも思える。しかし、そこを決して損と思わずに喜んで行うことは、子育ての大切な姿勢であり、また商売人としての生き方の神髄でもあることを教えられたのです。
この道の信仰を持つある経営者は、こう述べています。
「親は子供の世話ばかりして、ろくに面倒もみてもらえず死んでいく、こんな損な役割はない、などとぼやく人がいますが、とんでもない話です。人は、子供に面倒を見てもらうために、育児に熱中するのではないのです。楽しみながら、子供に手をかける。『損の道』も、じつは損をしていると思ってやっているうちは、理解が足りないのであって、『損の道』を損と思わない、むしろ喜べる心になってホンモノといえるのでありましょう」
親にとって手間暇のかかる育児が、大きな喜びであるように、苦労して商売をする「損の道」を歩むこともまた、商売人としての大きな喜びとなるのです。
「おかきさげ」の中に、次のような一節があります。
「日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう」
家業と孝心の道は、「二つ一つ」であるということ。信仰を生かした商売のあるべき姿を、教祖はお示しくだされているのです。
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