第1244回2023年8月25日配信
皆、丸い心で
教祖がぶどうの房に例えて、この世界の真実をお教えくだされたお言葉を味わう。
皆、丸い心で
天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。
明治16、7年頃のこと。久保小三郎さんが、長男楢治郎さんの眼の病気をたすけて頂いたお礼に、家族を連れてお屋敷へ帰らせて頂きました。
赤衣を召してお座りになっている教祖のお姿に、小三郎さん夫婦が恐縮していると、息子の楢治郎さんは無邪気に辺りを見回し、教祖のお側に置いてあるぶどうに目を留めました。すると教祖は、そのぶどうのひと房を手になされて、
「よう帰って来なはったなあ。これを上げましょう。世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に」(教祖伝逸話篇 135 「皆丸い心で」)
と仰せられ、そのぶどうの房を楢治郎さんに下さいました。
この短いお言葉の中には、教祖の親心がたくさん詰まっています。
「よう帰って来なはったなあ」というお言葉からは、教祖が、人類のふるさとである「ぢば」へ人々が帰ってくるのを楽しみに待っておられる様子がうかがえます。この時には、楢治郎さんの患いを通じて、どうでも小三郎さんの家族を引き寄せたいという深い思惑があったのです。
次に、「丸い心でつながり合うて行くのやで」とのお言葉について考えてみましょう。
「丸い」とは、かどかどしくなく穏やかで円満である、という意味です。そこからイメージされるのは心が澄み切った状態であり、つまりこの「丸い心」とは、神様の思いに沿った誠真実の心ということです。
そして、「つながり合うて行く」というお言葉は、日常経験する人間同士のつながり以上の、より深いレベルでの「つながり」を意味しています。
それは、次のお歌から理解することができます。
このよふを初た神の事ならば
せかい一れつみなわがこなり(四 62)
せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや(一三 43)
夫婦、親子、きょうだいがつながり合っているばかりでなく、世界中の人間は、神様を等しく親と仰ぐ「いちれつきょうだい」である、ということです。
さらに教祖は、「この道は、先永う楽しんで通る道や程に」と仰せられています。ここで言われる「先永う」とは、単に「長い間」というだけでなく、この信仰が親から子へ、子から孫へと末代まで続くことを仰せられ、「楽しんで通る道」というお言葉によって、何を見ても、何を聞いても、うれしい楽しいという陽気づくめの日々を、いつまでも通るようにと諭されています。
教祖はこの世界の真実を、誰にでも分かるように、ぶどうの房に例えてお諭しくださいました。
私たち人間は、神様の思いに沿った「丸い心」で、お互いがつながり合っていくべき存在である。
この真実に対して心が開かれた時、私たちは神様のご守護によって生かされていることの有難さを実感し、陽気づくめの日々を送ることができるのです。
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