第1215回2023年1月28日・29日放送
生きる義務
人間には生きる〝権利〟があるとは自明のことのようだが、この主張は自分本位の生き方を助長するのではないか。
生きる義務
昔々、栄華を誇る王が大勢の学者を集め、人類の歴史を書くよう命じました。問題が問題なだけに、完成までには膨大な時間がかかり、そのうち王は病に伏せ、生命が尽きようとしていました。
王は病床から学者たちを呼び寄せ、一口で人類の歴史を語るよう促しました。学者は答えました。「人間は生まれ、苦しみ、そして、死にました」。王は一言、「分かった」と言って、永遠の眠りにつきました。
考えてみれば、人間のすることは、生まれること、苦労して働くこと、そして死ぬこと、この三つしかないようです。あとは付録であり、バリエーションに過ぎません。この三つを権利という観点から考えれば、人間には、生きる権利、働く権利、死ぬ権利があるということになります。
ただ、権利はあれど、ままならないのが人生です。一般に私たちが見聞きする人の「死」の風景にしても、本当は死にたくないが、病や事故などによって、やむを得ず死ぬ。これが大方の人の最期でしょう。また、生についても、大概の人は生きていくのに精いっぱいで、自分の思い描く理想の人生にはほど遠いのではないでしょうか。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
たいないゑやどしこむのも月日なり
むまれだすのも月日せわどり(六 131)
とあるように、人間の誕生におけるご守護は、すべて神様によるものであると教えられます。
神様のご守護があればこそ、私たちは生を享け、いまもこうして生かされている。さらに、かしもの・かりものの教え、すなわち、この身体は神様からのかりもので、心だけが自分のものである、という教えからするなら、私たちには生きる権利があるというより、むしろ生きる「義務」があると考えるべきでしょう。
生きる権利という主張は、ややもすると、自分本位の気ままな生き方に流れてゆきます。これに対し、生きる義務があるという自覚は、人生の目指すべき方向性を決定づけます。すなわち、人間として生まれてきた以上は、神様の望まれる陽気ぐらしを目指して生きていくこと。こう心が定まって初めて、理想の人生へ近づく展望が開けてくるのです。
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