(ラジオ天理教の時間)
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第1149回2021年10月24日・25日放送

和香ちゃんと和加ちゃん

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1137回

生きることは、食べること

がんは、生きる喜びである「食」を脅かす。患者さんと家族からは、食べることにまつわる相談が実に多い。

生きることは、食べること

奈良県在住・看護師  松尾 理代

 

天理よろづ相談所病院「憩の家」の「がん相談支援センター」では、看護師の私と医療ソーシャルワーカーで、身体症状や心の悩み、在宅療養に関すること、経済的な問題、公的サービス、緩和ケア病棟の紹介、介護や日常生活に関することなど、患者さんやご家族に対し、幅広い相談に応じています。

そんな中、患者さんからは「食べられない」「食べたくない」「美味しく感じられない」、また家族の方からは「一生懸命作っても食べてくれない」「食べないと弱っていくばかりではないかと心配」といった「食」にまつわる相談が少なくありません。

食に影響を及ぼすのは、がんそのものだけではありません。抗がん剤や放射線、あるいは手術といった治療による影響、また患者さん自身の心の動きなど、さまざまな要因が脳や身体に働いて、患者さんの「食」を脅かすのです。

ある時、病棟から相談があったのは50代のご夫婦。がんを患ったご主人は、お腹の張りが激しく食欲がありません。その状況で、心配した奥さんが無理やり食事を口に運んで、幾度も嘔吐。夫婦仲すらおかしくなっているとのことでした。病室を訪ねると、「この人、ファンタのオレンジなら飲めるって言うんです。栄養にも何にもならないって言ってあげてくださいよ」と奥さんの第一声。

夫婦それぞれの思いを察し、先ずは「そう、ファンタのオレンジが好きなんですね」と私。「良かったですね。好きな物を美味しいと思えるって、いいことですよ。美味しいという気持ちが身体を元気づけてくれるし、その一口が唾液を分泌させて、それが刺激になって胃や腸が動き出すんです」と伝えました。

ご主人は「そうですよね。それでいいんですよね」と嬉しそう。そこで奥さんに「無理に食べるより、美味しいと思えるものを一口食べると、きっと心にも栄養が届きますよ」とお伝えすると、「そうですか。美味しいと思えることが大切なんですね」とうなずいていました。

別室で奥さんのお話を聞くと、「この状態が続くと、夫は餓死してしまうのではと心配で。少しでも栄養をとってほしい、一日でも長く生きてほしいんです」。奥さんは次の日、手作りのスープを持参しました。ご主人は喜びいっぱいの表情で、「この一口のスープがうれしい。美味しいなあ、ありがとう」と。

「生きることは食べること」です。「食べたい」「食べられた」「美味しい」と思えることは何よりの喜びであり、心身の回復にもつながります。

奥さんは、ご主人が亡くなった後しばらくして、私に会いに来てくださいました。

「家族として何ができるか分からず、自分なりに出来ることをやってみました。夫を失いたくない、もっと頑張って生きてほしい、そんな思いばかりでした。それが、夫を苦しめることになっていたとは。あの時、アドバイスをもらって楽になりました。おかげで、最後に夫のために色々としてあげられました」と、話してくださいました。

次は、ある男性患者さんとお孫さんのお話。放射線治療を受けた男性は、身体症状は回復したものの、さまざまな要因で食欲が戻らず、寝たきりとなってしまいました。そんなおじいちゃんの姿に、お見舞いに来た小学五年生の女の子、チーちゃんは悩んでいました。そこで私は、「チーちゃんがおじいちゃんのためにやってあげたいこと、できること、一緒に考えてみない?」と声を掛けました。一緒に真剣に考えて、あるサプライズをすることになりました。

学校が休みの日、お母さんとお見舞いに来たチーちゃんが、「おじいちゃん、サプライズがあるんよ」と言うと、「その〝サプ〟って何や?」とおじいちゃん。チーちゃんは、「おじいちゃんが驚いて、喜ぶもんや」と言って、家庭科の授業で習った、サッカーボールやキティちゃんに見立てた小さなおにぎりを出しました。

ラップで可愛らしく包んで、カゴに入れたおにぎりを見せながら、「おじいちゃん、病院の横の公園で食べようよ」とチーちゃんが言うと、久しぶりに起き上がったおじいちゃんは、チーちゃんとチーちゃんのお母さんと一緒に公園へ。一時間ほどして戻ると、「聞いて聞いて、孫のチーちゃんがワシのために可愛いおにぎり作ってくれたんや。あまりに嬉しいて、三個も食べてもうたわ。ほんま美味しかったで」と。食べられず、寝たきりになっていた人とはまるで別人です。

その次の週もサプライズがありました。おじいちゃんは、チーちゃんの絵のモデルになっていたのです。ベッドから起き上がって座れるようになり、動く意欲も湧いてきて、間もなく退院されました。

お孫さんの存在の、何と素晴らしいことか。「生きることは食べること」と考える時、「誰が作ってくれたものか」も大切な要素なんですね。

また、こんなご夫婦もいました。患者さんは80代の女性で、肺がんでした。終末期に入って食が細くなり、飲み込む機能も落ちていました。ご主人は毎日、奥さんが食べられそうな物を持って、バスに乗って面会に来られました。バナナを小さく切って口に入れたり、少しでも栄養をと、医師が処方した総合栄養剤をスプーンで飲ませたりしていました。

そんな中、ご主人が腰を圧迫骨折してしまい、面会に来られない日が続きました。やがて、奥さんの病状が差し迫ってきたので電話をすると、息子さんに連れられてやって来ました。

個室に移らなければならない奥さんの姿を見て、「何でこんなに弱ってしもうたんや。ワシが寝込んでいる間になんでや」と言って、男泣きに泣きました。

バナナの色が変わってきているのも構わず、「バナナなら食べられるやろ。これ食べてみ」と口に運ぼうとしますが、受け付けません。「なんでや、なんでや。ワシが来んかったからか? ミルクやったら飲めるか? 座ったら飲めるんか?」と必死に声を掛けていました。

私も手伝って、奥さんにベッドの端に座ってもらうと、ご主人はその隣りに腰かけ、奥さんの身体をしっかりと支えました。すでにストローで吸う力はなくなっていたので、総合栄養剤をティースプーンに少しだけ垂らし、ご主人に渡して口に入れるタイミングを教えると、一口、二口と少しずつ飲むことができました。

すると、奥さんは本当にか細い声でしたが、「ミルク……おいしいね……お父さん」と、ご主人の顔を見て言いました。ご主人はうれしそうに「そうか、美味しいか、良かったな、また元気になるで。もう夕方や、夕焼けがきれいやな」と言い、奥さんもうなずいていました。

それから一時間ほどして、奥さんは息を引き取りました。

「生きることは食べること」
私たちは誰もが日々、何を食べるかを考えながら生きていますが、「誰と食べるか」も大きいです。かけがえのない家族、親しい友人、あるいは同僚など、大切な人たちと、「美味しいね、嬉しいね」そう言い合って生きていきたいものです。

最後に、もう一つ。私は今まで、たとえ食べられなくなっても、「食」に喜びを見出したり、力を得たり、そんな患者さんの姿をたくさん見てきました。ある人は、大好きな料理の匂いをかいで笑顔になり、またある人は、昔懐かしいふるさとの味覚を語り合って涙したり。味覚だけでなく、視覚、聴覚、記憶など、感覚すべてで「生きることは食べること」を味わっておられました。

さあ、今日も、日に三度、両手を合わせ、感謝していただきましょう。

 


 

親と子のあり方

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」の直筆による「おふでさき」に、次のようなおうたがあります。

 にち/\にをやのしやんとゆうものわ
 たすけるもよふばかりをもてる(十四 35)

親なる神様は、いつでも子どもである私たち人間をたすける段取りばかりを考えているとの仰せです。まさに、子ども可愛い親心の極致と言えるでしょう。

「たすける」とは、一般に悪い状態から救うことを意味しますが、この「たすける」ことの中身は、神様と人間との間で大きく異なります。

人間としては、もっぱら病気や災難、また貧困といった困難な状態が解消されることを願います。しかし、神様からすれば、例えば病気については「病の元は心から」と、その根本原因である心遣いが体調に現れたものだと仰せられています。その身体の異常を手掛かりに心の向きを改めさせ、陽気ぐらしへ導こうとの親心からのお知らせだということです。

同じような食い違いは、人間の親子の場合にもしばしば生じます。親が子どもの将来を案じて助言や注意をしても、子どもは目先の興味や欲求に捉われて、耳を貸さなかったり、逆に反発したりといったことがあります。親としてはもどかしい限りですが、腹を立てたり諦めたりするのではなく、どうすれば真意が伝わるかを思案し続け、見守り続けることが大切だと思います。

そのためには、先ず親自身が、心から子どもの幸せを願うとともに、本当の幸せとは何か、本当のたすかりとは何かを求め、自らも律する努力を忘れてはならないと思うのです。

(終)

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