(天理教の時間)
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第1303回2024年10月11日配信

神様の大作戦(前編)

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1137回

生きることは、食べること

がんは、生きる喜びである「食」を脅かす。患者さんと家族からは、食べることにまつわる相談が実に多い。

生きることは、食べること

奈良県在住・看護師  松尾 理代

 

天理よろづ相談所病院「憩の家」の「がん相談支援センター」では、看護師の私と医療ソーシャルワーカーで、身体症状や心の悩み、在宅療養に関すること、経済的な問題、公的サービス、緩和ケア病棟の紹介、介護や日常生活に関することなど、患者さんやご家族に対し、幅広い相談に応じています。

そんな中、患者さんからは「食べられない」「食べたくない」「美味しく感じられない」、また家族の方からは「一生懸命作っても食べてくれない」「食べないと弱っていくばかりではないかと心配」といった「食」にまつわる相談が少なくありません。

食に影響を及ぼすのは、がんそのものだけではありません。抗がん剤や放射線、あるいは手術といった治療による影響、また患者さん自身の心の動きなど、さまざまな要因が脳や身体に働いて、患者さんの「食」を脅かすのです。

ある時、病棟から相談があったのは50代のご夫婦。がんを患ったご主人は、お腹の張りが激しく食欲がありません。その状況で、心配した奥さんが無理やり食事を口に運んで、幾度も嘔吐。夫婦仲すらおかしくなっているとのことでした。病室を訪ねると、「この人、ファンタのオレンジなら飲めるって言うんです。栄養にも何にもならないって言ってあげてくださいよ」と奥さんの第一声。

夫婦それぞれの思いを察し、先ずは「そう、ファンタのオレンジが好きなんですね」と私。「良かったですね。好きな物を美味しいと思えるって、いいことですよ。美味しいという気持ちが身体を元気づけてくれるし、その一口が唾液を分泌させて、それが刺激になって胃や腸が動き出すんです」と伝えました。

ご主人は「そうですよね。それでいいんですよね」と嬉しそう。そこで奥さんに「無理に食べるより、美味しいと思えるものを一口食べると、きっと心にも栄養が届きますよ」とお伝えすると、「そうですか。美味しいと思えることが大切なんですね」とうなずいていました。

別室で奥さんのお話を聞くと、「この状態が続くと、夫は餓死してしまうのではと心配で。少しでも栄養をとってほしい、一日でも長く生きてほしいんです」。奥さんは次の日、手作りのスープを持参しました。ご主人は喜びいっぱいの表情で、「この一口のスープがうれしい。美味しいなあ、ありがとう」と。

「生きることは食べること」です。「食べたい」「食べられた」「美味しい」と思えることは何よりの喜びであり、心身の回復にもつながります。

奥さんは、ご主人が亡くなった後しばらくして、私に会いに来てくださいました。

「家族として何ができるか分からず、自分なりに出来ることをやってみました。夫を失いたくない、もっと頑張って生きてほしい、そんな思いばかりでした。それが、夫を苦しめることになっていたとは。あの時、アドバイスをもらって楽になりました。おかげで、最後に夫のために色々としてあげられました」と、話してくださいました。

次は、ある男性患者さんとお孫さんのお話。放射線治療を受けた男性は、身体症状は回復したものの、さまざまな要因で食欲が戻らず、寝たきりとなってしまいました。そんなおじいちゃんの姿に、お見舞いに来た小学五年生の女の子、チーちゃんは悩んでいました。そこで私は、「チーちゃんがおじいちゃんのためにやってあげたいこと、できること、一緒に考えてみない?」と声を掛けました。一緒に真剣に考えて、あるサプライズをすることになりました。

学校が休みの日、お母さんとお見舞いに来たチーちゃんが、「おじいちゃん、サプライズがあるんよ」と言うと、「その〝サプ〟って何や?」とおじいちゃん。チーちゃんは、「おじいちゃんが驚いて、喜ぶもんや」と言って、家庭科の授業で習った、サッカーボールやキティちゃんに見立てた小さなおにぎりを出しました。

ラップで可愛らしく包んで、カゴに入れたおにぎりを見せながら、「おじいちゃん、病院の横の公園で食べようよ」とチーちゃんが言うと、久しぶりに起き上がったおじいちゃんは、チーちゃんとチーちゃんのお母さんと一緒に公園へ。一時間ほどして戻ると、「聞いて聞いて、孫のチーちゃんがワシのために可愛いおにぎり作ってくれたんや。あまりに嬉しいて、三個も食べてもうたわ。ほんま美味しかったで」と。食べられず、寝たきりになっていた人とはまるで別人です。

その次の週もサプライズがありました。おじいちゃんは、チーちゃんの絵のモデルになっていたのです。ベッドから起き上がって座れるようになり、動く意欲も湧いてきて、間もなく退院されました。

お孫さんの存在の、何と素晴らしいことか。「生きることは食べること」と考える時、「誰が作ってくれたものか」も大切な要素なんですね。

また、こんなご夫婦もいました。患者さんは80代の女性で、肺がんでした。終末期に入って食が細くなり、飲み込む機能も落ちていました。ご主人は毎日、奥さんが食べられそうな物を持って、バスに乗って面会に来られました。バナナを小さく切って口に入れたり、少しでも栄養をと、医師が処方した総合栄養剤をスプーンで飲ませたりしていました。

そんな中、ご主人が腰を圧迫骨折してしまい、面会に来られない日が続きました。やがて、奥さんの病状が差し迫ってきたので電話をすると、息子さんに連れられてやって来ました。

個室に移らなければならない奥さんの姿を見て、「何でこんなに弱ってしもうたんや。ワシが寝込んでいる間になんでや」と言って、男泣きに泣きました。

バナナの色が変わってきているのも構わず、「バナナなら食べられるやろ。これ食べてみ」と口に運ぼうとしますが、受け付けません。「なんでや、なんでや。ワシが来んかったからか? ミルクやったら飲めるか? 座ったら飲めるんか?」と必死に声を掛けていました。

私も手伝って、奥さんにベッドの端に座ってもらうと、ご主人はその隣りに腰かけ、奥さんの身体をしっかりと支えました。すでにストローで吸う力はなくなっていたので、総合栄養剤をティースプーンに少しだけ垂らし、ご主人に渡して口に入れるタイミングを教えると、一口、二口と少しずつ飲むことができました。

すると、奥さんは本当にか細い声でしたが、「ミルク……おいしいね……お父さん」と、ご主人の顔を見て言いました。ご主人はうれしそうに「そうか、美味しいか、良かったな、また元気になるで。もう夕方や、夕焼けがきれいやな」と言い、奥さんもうなずいていました。

それから一時間ほどして、奥さんは息を引き取りました。

「生きることは食べること」
私たちは誰もが日々、何を食べるかを考えながら生きていますが、「誰と食べるか」も大きいです。かけがえのない家族、親しい友人、あるいは同僚など、大切な人たちと、「美味しいね、嬉しいね」そう言い合って生きていきたいものです。

最後に、もう一つ。私は今まで、たとえ食べられなくなっても、「食」に喜びを見出したり、力を得たり、そんな患者さんの姿をたくさん見てきました。ある人は、大好きな料理の匂いをかいで笑顔になり、またある人は、昔懐かしいふるさとの味覚を語り合って涙したり。味覚だけでなく、視覚、聴覚、記憶など、感覚すべてで「生きることは食べること」を味わっておられました。

さあ、今日も、日に三度、両手を合わせ、感謝していただきましょう。

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