(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1093回

いのちみつめて~ピアノは愛の子守歌~

がんを患った60代の女性。ご主人と3人の娘や孫たちに囲まれ、大好きなピアノ演奏も実現した最期の日々。

いのちみつめて~ピアノは愛の子守歌~

 奈良県在住・看護師  松尾 理代

天理よろづ相談所「憩の家」病院の一階ホールには、一台のグランドピアノがあり、月曜日から金曜日の正午にミニコンサートが開かれます。演奏するのは「憩いのひと時を届けたい」と志願した人たち。仕事の合間にその音色を耳にすると、私は以前に関わった患者さんとご家族を思い出します。

当時60代だった彼女には娘さんが3人いました。私が勤める「がん相談支援センター」に最初に電話をくれたのは、医療職についている次女。寒い冬の日でした。

「母が抗がん剤治療を受けていて、父が通院に付き添っています。2か月前、父は母の主治医から『お腹に水が溜まっている』と説明を受けたのに、重く受け止めなかったからか、私たちに教えなかったんです。最近になって、『本人に言ったら良くないと思ったんだ。とにかく、お母さんを支えて頑張ろう』って。私が慌てて『お母さんの命、このまま終わっちゃうかもしれないよ』と言うと、お父さん、ショックで倒れそうになって」
「私、医療職なのに、どうして腹水に気づかなかったんだろうって悔しくて。母は不安や痛みが強くなるとパニックを起こすから、どう伝えたらいいのか分からない。教えて欲しいんです」

真剣に訴える彼女に、私は「いくら医療職についていても、実の家族を患者さんと同じ目線でサポートするのは難しい。当然のことよ」と伝えました。

続けて、「人は辛いニュースを聞いた時、大切な人を護りたい、自分の心を護りたいと、無意識に防衛機制が働くの。傍からはチグハグに見えるかもしれないけど、お父さんの行動も仕方ないことなの。もし本人に本当のことを話した方がいいと思うなら、お母さんを信じて、一緒に先生の説明を聞いてみたら? 家族が一緒に聞くことでみんなの理解が深まるし、本人も家族に支えられているという安心感が持てるんじゃないかしら」と提案しました。

続けて、人間の身体に備わっている痛みを和らげようとする働き、「ゲートコントロール説」と言われる現象について伝えました。痛みの信号は脊髄を通って脳に伝わりますが、痛む部位の周辺をさすったり、湯たんぽで温めるといった刺激が同時に脊髄に届くと、そこで痛みの信号がブロックされるのです。

また、好きな音楽を聴いたり演奏したり、家族が側に付き添ったりすると、エンドルフィンなどの脳内麻薬や、セロトニン、アドレナリンといった心を落ち着かせる脳内ホルモンが出て、これらも脊髄の痛みのゲートを閉じる効果があるということも話しました。

受話器の向こうから、「姉と妹にも話してみます。出来ることがあって良かった。何とか頑張れそうです」と明るい声が返ってきました。

次に電話をくれたのは、母親の後を追って教職を選んだ三女。彼女は、「母は心配症だから、インターネットで色々と調べて落ち込むんじゃないか」「そんな母の側にいて、父は耐えられるだろうか」と、両親のことを案じていました。

「自分ができるのは、お腹をさすって少しでも痛みを和らげてもらうこと。それから母の好きな音楽を流して、今日はどんなことがあったのかを話したり。そんなことでも母は、『痛みがましになった』と言ってくれたんです。こんな関わり方でいいんでしょうか?」

天理教の信仰を持っている三女は、痛まないようにと神様にお願いし、「おさづけ」を取り次いでいるとも。
「充分お母さんの支えになっていると思いますよ」と伝え、「インターネットは情報が氾濫しているので、かえって混乱することもある。お母さんの状態を一番分かっているのは主治医だから、心配や不安に思っていることをメモしておいて、診察の時に尋ねたらいいわ」とアドバイスしました。

その後も娘さんたちから度々電話で相談があり、やがて患者さん本人とご主人もセンターに相談に来られるようになりました。抗がん剤治療と並行して、笑いヨガや漢方など、いいと言われるものは何でも取り入れているとのこと。

彼女は「治りたいの。家族の世話をしながら元気に暮らしたい。先生の話を聞き、先生の力を借りて、それに自分の力も合わせて治したい。がんも元は自分の細胞だから、身体の声を聞きながら命をつないでいきたい。娘が、痛いところをさすりながら『大事、大事』『大好き、大好き』『頑張ってるね』って声を掛けたらいいよって教えてくれたの。その通りにしたら痛みがスーッと消えたのよ」と、笑顔で話してくれました。

春を迎える頃、面談に来た三女は「病を通して母と向き合えるようになりました。今は朝起きてから寝るまで、母と一緒にいられることが幸せなんです。今まではみんな必死過ぎて、母のことも見えなくなっていた。今はみんなが母の想いに寄り添って、母のために何が必要なのかを考えています」と話しました。
私が「みんなで先生の説明を聞いた時から、家族が一つになれたんじゃないかしら。本人も家族の支えを充分感じているでしょうね」と言うと、大きくうなずいていました。

そんな中、本人がホールのミニコンサートでピアノを弾きたいと申し出ました。
初めての演奏は3月、桜のつぼみがふくらんだ頃。娘さんたちや4人のお孫さんも駆けつけました。
演奏前に声を掛けると、「緊張してる。でもこんな機会があって良かった。演奏していると、すべてを忘れて無になれる。聴いてくれる人も癒やされたらいいな」と。

その後も4月と5月、7月に演奏。8月末にはかなり痩せが目立って心配されましたが、何とかピアノの前に座ることができました。「夏の思い出」や「ハナミズキ」などみんなが知っている曲を演奏し、曲が進むにつれて表情も明るくなっていきました。その時、2歳のお孫さんがピアノの側に駆け寄り、やがて居眠り。演奏後、5歳になるお姉ちゃんが「おばあちゃんのピアノは愛の子守歌。弟ったらいつも眠ってしまうの」と。そんな声を、彼女は嬉しそうに聞いていました。

そんな彼女が娘さん3人に看取られたのは、翌年の春。
年末には、その5か月後に結婚式を挙げることが決まっていた三女と婚約者、その家族と一緒に留め袖を着て記念写真に納まりました。正月には家族で、彼女が大好きな白浜温泉へ。
2月末には、「先生と松尾さんにお礼が言いたい」と、頑張って介護タクシーで来院。握手を交わし、一緒に写真に納まった、そのわずか5日後のことでした。

一年が過ぎて、娘さんたちが病院に来られました。
「家族が一つになれて嬉しかった」という娘さんたちに、私は「お母さんも、『病気になったことは辛いけど、家族が一つになれた。それが何より嬉しかった』と仰っていましたよ」と伝えました。

本人が辛い時、ご主人は黙って愚痴を聞き、長女は食事を作ってお孫さんと一緒に側に付き添い、次女は仕事を生かして看護をし、三女はおさづけを取り次ぐ。一人ひとりが最後まで出来ることをし、お母さんを支えた、本当に素敵な家族でした。

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