(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1223回

十五才までは

近年、個々の好き嫌いに価値が置かれるあまり、こうある「べき」という主観を超えた理が欠落している。

おさしづ春秋『十五才までは』

 

十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通りや。(M21・8・30)

 

「べき」という言葉は、個々の主観を超えた理のあることを納得して下す判断であると、『広辞苑』にはある。

かつて、周囲の反対をおしきってまで結婚をしようとしている女子学生に、そうまでして結婚するんだから末永く幸せになりなさいよというと、彼女はわるびれる様子もなく、それだけは約束できません、今は好きだけど、いつか彼のことが嫌いになるかもしれないからといった。こればっかりは、ともいった。驚きというよりも気の陰る思いがした。

好き嫌い、ということに価値の比重がずっしりとかかっていて、「こうあるべき」の「べき」を貴ぶような、それこそ個々の主観を超えた理が、はげしく欠落しているように思えてならない。このことは、何事も自分の心に正直に生きることが大切だ、と耳ざわりのいい風潮を流す大人たちにも重なる。

極端なことを言ってはいけないが、御教えからすれば、子供たちは十五才を過ぎると、容赦なく、自分の心通りに現れてくる世界に暮らさねばならなくなる。心通りの世界で、心通りのご守護をいただくためには、少なくとも、その「心」について学ぶ必要がある。あるいは、それまでに学んでおく必要がある。と、いうことになる。

学生たちと接していると、いかに自分が学生であったときの心境を忘れているかに気づく。あの不安定であやうい心持ちの日々を思い返して、確かな拠り所について話したい。

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし