第1182回2022年6月11日・12日放送
やなせさんのこと
漫画家のやなせたかしさんが、アンパンマンのヒットによって成功を見たのは、還暦をすぎてからであった。
おさしづ春秋『やなせさんのこと』
小さいようで大きなもの、大きなもの小さきものの理があるから大きものや。(M23・6・23)
いただきものの三越の包装紙に目がとまる。漫画家のやなせたかしさんがデザインした『mitsukoshi』というレタリングが昭和二十五年からずっとかわらずにいる。やなせさんが、アンパンマンのヒットによって漫画家としての成功を見たのは、たいていの漫画家が引退を考える還暦をすぎてからであった。
当時のこと、ある若い漫画家がやなせさんに「どうすれば、売れる漫画が描けるのでしょうか」とたずねた。やなせさんが「君は、毎日、漫画を描いていますか」と聞き返すと、彼は「依頼もなく、アルバイトが忙しいので、今は描いていません」と答えた。それに対してやなせさんは、「僕は売れなくても、毎日、描いていました」と、何十年もの歳月を一言にした。以前に取材でお会いしたときの話である。
ひもじい者に自分の顔を食べさせるアンパンマンは、「人助けには、痛みが伴うもの」という作家自身の信念の現れにすぎないという。
今なお、その人気は衰えず、つい最近も教会に来ていた二歳の女の子が「アンパンマン」と聞いただけで泣きやんだのにはさすがに驚いた。にわかに信じがたいが、関連グッズの売り上げは一兆一千億円を越えて他のアニメの追随をゆるさないという。
そんなやなせさんのスタジオは、自宅と同じマンションにあった。広々とした仕事場は明るく華やかで何人かのスタッフが机に向かっていたが、マンション自体はひどく老朽化していた。
一兆円の売れっ子にしては……と、正直にたずねると、「漫画家はこれ以上いい所に住んではだめです」とやわらかな笑顔をされた。売れないときも描き続けたやなせさんは、売れても生き方を変えることはなかった。