第1200回2022年10月15日・16日放送
天の綱
信仰が親から子に伝わるとはどういうことか。ある青年が母親とのエピソードを話してくれた。
おさしづ春秋『天の綱』
神が手を引いて連れて通る。天の綱を持って行くも同じ事。(M33・2・11)
信仰を伝えるということは、何がどのように伝わることだろうかと、ふと、立ち止まると、かつて熱心な青年が話してくれたことを思い出した。
彼は小さいときからお母さんと二人暮らしで、仕事をもつお母さんは、彼を保育所にあずけるまえに必ず教会に参拝していたという。
「僕は、小さいころ母に連れられて教会へ行くのが大好きでした。お小遣いが貰えるからです。小さな両手にいっぱいの硬貨を貰うんです。そして、母の言うとおりそれを参拝場の前のほうの賽銭箱まで一人で行って、ジャラジャラって入れるんです。何度も何度も教会へ行く度にそれをくりかえしました。母はそのための硬貨をいつも用意していたようです。……これさえ身につければ、この子の将来は何の心配もありません。と母がよく人に言っていました」
と、屈託のない笑顔で話してくれた。
お母さんにすれば、おそらく「この子の将来」を見とどけることはできないだろうと思うから、尚のことであったろう。
のちに青年は、布教所を開設し、仕事も順調に、家庭にも恵まれて、家族ぐるみで教会の御用を大切にしている。
天から降ろされたひとすじの綱をたぐりよせて、「何があっても、放すんじゃないよ」と、小さな手に綱を握らせてあげるお母さんの切実な思い。伝わったのは、その切実な思いだったのかもしれない。