第1203回2022年11月12日・13日放送
菊花のごとく
菊は己を律し、天のみを見て慎んでいる。「慎み」の大切さを教えられる私たちにとって、憧れの存在である。
おさしづ春秋『菊花のごとく』
慎みが理や、慎みが道や。
慎みが世界第一の理、
慎みが往還や程に。(M25・1・14)
菊花香る霜月。菊にかぎったわけではないが、とくに菊は、見事なまでに己を律した立ち姿に心を打たれる。天然自然の理を正直にまもり、後から刈り揃えたのではないか、と思うほど整然と花びらを正し、「気を付け」をして静かに立っている。
野に咲く菊のほとんどは、人の目に触れることもなく、まして褒められることもない、にもかかわらず、その態度を決して崩さない。そして、ほのかに香るのである。菊は天のみを見て、つつしんでいる。
いつの世も人間の欲にはきりがないらしく、『韓非子』には次のような記事がある。中国の斉の国王・桓公が宰相の管仲に「富に限界があるか」と訊いた。管仲は答えた。
「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は、それに満足するところにありますが、人間は、これで満足するということを知りません。それで富も自分も失ってしまいます。ここらが限界といえましょうか」
これは二千五百年も昔の話だが、管仲のいう限界は身の破滅を意味していてうすら寒い。
天理教の教祖が教えられた『みかぐらうた』に、
よくにきりないどろみづや
こゝろすみきれごくらくや(十下り目 四ッ)
とある。
際限のない欲望は泥水のように心を濁らせて、様々な災いや苦しみを招いてしまうが、その濁りを去り、心が澄み切れば、陽気ぐらしを味わうことができると教えられる。
晩秋の夜寒、透きとおるような、あの菊の生き方に憧れるのである。
(終)