(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1360回

徳の器を広げる

日常の何気ない行動も「徳」を積むことにつながる。教祖は「目に見えない徳」の大切さを教えられた。

徳の器を広げる

 

日常の行動に、その人の癖・性分が現れるのは当然の営みです。例えば、地域のごみ出しの現場においても、その行動は実に十人十色。ごみ袋をポーンと投げるように置いていく人もいれば、後から来て、人が置いていった袋をきちんとネットに被せる人、回収された後にごみ捨て場を掃除する人など様々です。

よその家のごみ袋を整理したり、ごみ捨て場をきれいに掃除する人などは、まさに教祖が教えられた「見えない徳」を積んでいる姿だと言えるかも知れません。

『教祖伝逸話篇』に、次のような逸話があります。

「教祖が、ある時、山中こいそに、『目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか、どちらやな』と、仰せになった。こいそは、『形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます』と、お答え申し上げた」(教祖伝逸話篇 63「目に見えん徳」)

徳には「目に見える徳」と「目に見えない徳」があります。見える徳は物などの形として、あるいは現象を通して知ることができます。欲しい物が思いがけず手に入ったり、お店でサービスをしてもらったりすれば、誰でも得した気分になりますよね。

しかし、この逸話では、その時だけの見える得よりも、見えない「徳」を頂く方が余程ありがたいのだとお教え下さいます。

では見えない徳は、どうしたら積めるのか。それは、いつでもどこでも人様に喜ばれるように一生懸命努めることではないでしょうか。先の身近なごみ捨て場の行いもそうですが、たとえ人目にふれない目立たないようなことでも、心を込めて行うこと。そうすると神様は必ず見ておられますから、少しずつ徳を与えてくださいます。

そして、さらに徳の器を広げる方法は、教祖のお心を学ぶことです。

教祖は、立教当初「貧に落ち切る」道中を歩まれる中、娘さんの「お母さん、もう、お米はありません」との訴えに、

「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や。水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」

と諭されました。

教祖は、無かったらすぐに買っておいでとか、近所から頂いてきなさい、というようなことは一切仰いません。ただ親神様からのお与えを、深くひたすらに喜ばれたのでした。

無いことを嘆いたり、「あれが欲しい、これが欲しい」とむやみに求めたりせず、「与えを喜ばせて頂こう。これで結構、結構」こういう気持ちに心底切り替わることで、徳は増えていくのではないでしょうか。

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