第1357回2025年10月24日配信
自分一人で
信心するしないは、銘々の心次第。親神様は私たちが自ら道を求める心になるまで、お待ち下されている。
自分一人で
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん (一 6)
とのお歌があります。
元のいんねんとは、親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたいと思召され、人間とこの世界をお創りになった。私たち一人ひとりは、その親神様の思いが込められた可愛い子供であり、きょうだいとしてつながり合って生きているということです。
そして、その詳しい元を聞きたければ自ら訪ねて来るようにと仰せられます。自ら教えを求めていくことの大切さを諭されているのです。
手振りと共に教えて下さる「みかぐらうた」に、
むりにどうせといはんでな
そこはめい/\のむねしだい (七下り目 六ッ)
むりにこいとハいはんでな
いづれだん/\つきくるで (十二下り目 六ッ)
とあります。信心するしないは、銘々の胸次第、心次第。親神様は決して無理強いはされず、私たちが自ら道を求める心になるまで、辛抱強くお待ち下されているのです。
教祖をめぐって、次のような逸話が残されています。
教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか」などと、居合わせた人々が、二、三人連れを誘って行くと、教祖は決して快くお話し下さらないのが常でした。
「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで」と仰せられ、一人で伺うと、諄々とお話を聞かせて下さいました。尚その上で、「何んでも、分からんところがあれば、お尋ね」と仰せられ、いともねんごろにお仕込み下された、と伝えられています。(教祖伝逸話篇116「自分一人で」)
教会本部の教祖殿では、教祖の御前で、長い時間拝礼している信者さんの姿が見られます。様々な事情を抱え、まさに自分一人で教祖との対話に臨んでいるように見受けられます。きっと教祖は、にっこり笑っていともねんごろにお諭し下されていることでしょう。
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