第1371回2026年1月30日配信
ひとすぢごゝろ
「ひとすじ心」とは、我が身思案を捨て去り、いつでも親神様の思いに心を合わせて生きていくことだ。
ひとすぢごゝろ
六ツ むりなねがひはしてくれな
ひとすぢごゝろになりてこい
七ツ なんでもこれからひとすぢに
かみにもたれてゆきまする (三下り目)
教祖は、日々唱える「みかぐらうた」の中で、このように教えられています。この二首は、「ひとすぢごゝろになりてこい」という親神様の呼びかけに対して、「かみにもたれてゆきまする」と人間の側からお誓い申し上げる形式になっています。
「ひとすじ」とは、信仰の世界だけでなく、社会の中で広く使われている言葉です。たとえば、ある一つの仕事をコツコツと長年続けている人は、その道一筋だと言われます。また、自らに課した約束事をひたすら守り続ける人にも、この言葉が当てはまるでしょう。
その上で、信仰における「ひとすぢごゝろ」とはいかなるものか。それは、どんな時にも親神様の思いに心を合わせて生きる姿勢を貫くことです。自らの考えを押し通していく一筋ではなく、我が身思案を捨て去って、親神様のお計らいに身をゆだねていく生き方です。
この親神様の思いに叶う一筋心は、実は私たち人間が本来持っている資質であると言えます。それは、この世の元初りにおいて、親神様が人間を創造されるにあたり、その雛型と道具を引き寄せられる場面によって明らかです。教典第三章「元の理」に、このように記されています。
「そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよ(泥鰌)の中に、うを(魚)とみ(蛇)とが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた」
親神様は、人間を生み出す雛型となるものの「一すじ心なるを見澄ました上」で、承知をさせて貰い受けられている。すなわち私たち人間には、あらかじめ一筋心という特性が備えられており、またそのような心の働きを親神様は私たちに求めておられるのです。
「ひとすぢごゝろになりてこい」との呼びかけに対して、「かみにもたれてゆきまする」と親神様に宣言をしているわけですから、これは何としても実現させたいものです。
目に見えない親神様に身を預けるためには、ひたすら我欲を捨て、親神様への信頼ひとすじに通り切る。もたれるという語感からは、やや消極的な印象が感じられますが、むしろ積極的な心の大転換が必要です。
どのよふな事をするにも月日にて
もたれていればあふなけハない (十一 38)
どのような事が起きても、神の思いにもたれていれば決して危ないことはないのだと、私たちの元の親、実の親である親神様はそう断言して下さっています。
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