第1355回2025年10月10日配信
なにかなハんとゆハんでな
「むりなねがひはしてくれな」と仰せられる教祖。どんな願い出が「無理」と言われるのだろうか。
なにかなハんとゆハんてな
教祖が教えられた「みかぐらうた」は、手振りと共に日々唱える中で、私たちに様々な気づきを与えて下さいます。
三下り目に、
六ツ むりなねがひはしてくれな
ひとすぢごゝろになりてこい
七ツ なんでもこれからひとすぢに
かみにもたれてゆきまする
とあります。
このお歌が作られたのは慶応3年、1867年のことですが、この年にお屋敷へ参拝した人々のことを記録した「御神前名記帳」という資料が残されています。
それによると、当時の人々が「眼病、足イタ、カタコリ、痔」などの身体に関する願いにとどまらず、「縁談、悪夢、物の紛失」など、実にさまざまな願い出をしていたことが分かります。
しかし教祖は、どんな願い出に対しても、「無理な願いはしてくれな」とは、仰せにならなかったのではないでしょうか。むしろ、誰に対しても、母親が子供を迎え入れるように、「よう帰ってきたなあ」と、大きな親心で迎えられ、どのような病気や事情もお引き受け下さったのだと想像できます。だからこそ、「庄屋敷へ詣ったら、どんな病気でも皆、たすけてくださる」との噂が広まり、この道が徐々に進展していったのです。
では、一体何を「無理な願い」だと仰せになっているのでしょうか。それは願う内容よりも、願う人の心について仰せ下さっているのだと思います。
直筆による「おふでさき」に、
月日にハなにかなハんとゆハんてな
みなめへ/\の心したいや (十三 120)
とあるように、親神様は私たちの心次第でどのような願いも叶えて下さるのです。
「無理な願い」とは文字通り、受け取って頂けるような「理」が無いまま願うということ。心のどこかに、「本当にたすけて頂けるのだろうか」と少しでも疑う心があるなら、到底親神様には受け取って頂けないでしょう。
「ひとすぢごゝろになりてこい」という親神様の切なる願いに対して、「かみにもたれてゆきまする」と私たちはお答えしている訳ですから、これは大変な宣言をしていることになります。まさに、何が起きても揺らぐことのない確かな信仰が、試されていると言えるのではないでしょうか。
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