第1299回2024年9月13日配信
むらかたはやくにたすけたい
貧に落ち切る教祖の行動に、近隣の者たちは嘲笑を浴びせる。そんな中、教祖は不思議なたすけを数々見せられた。
むらかたはやくにたすけたい
天理教教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、
むらかたはやくにたすけたい
なれどこゝろがわからいで (四下り目 六ッ)
なにかよろづのたすけあい
むねのうちよりしあんせよ (四下り目 七ッ)
とあります。
村方とは、地元の人、お屋敷周辺に住まう人々のことです。近くにいる者なら尚更早くたすけたいが、なかなか神の思惑を分かってくれない、そのもどかしさが表れています。
それまでも教祖に身近に接していた近隣の人にすれば、月日のやしろとなられてからの行動は、到底理解できるものではありませんでした。「貧に落ち切れ」との親神様の思召しのままに、食べ物や着る物、金銭まで次々に施され、ついには家形まで取り払う様を側で見て、「あの人もとうとう気が違ったか。いや、憑きものやそうな」と嘲笑を浴びせ、ついには訪ねる者さえいなくなったのでした。
そうした中、教祖自らお針の師匠をつとめられ、決して教祖が憑きものでないことを人々に理解させたり、さらに安産のご守護である「をびや許し」をきっかけとして、おたすけを願い出る人が少しずつ出始めたのです。
直筆による「おふでさき」には、
村かたハなをもたすけをせへている
はやくしやんをしてくれるよふ (四 78)
せかいぢう神のたあにハみなわがこ
一れつハみなをやとをもゑよ (四 79)
とあります。
村方の人々が、親神様を真実の親として慕い仰ぐようになれば、教祖のされることに疑いを持たず、子供として素直についていくことができる。そのために教祖は不思議なたすけを相次いで見せられ、やがて教祖を生き神様と慕い寄る大勢の人々で、お屋敷は賑わうようになっていったのです。
さらに教祖は、「なにかよろづのたすけあい」と、信心の歩みの目指すべき姿として、「たすけ合い」ということを仰せになり、それについて心の底からよく思案をするようにと教えられています。
「おふでさき」に、
このさきハせかいぢううハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら (十二 93)
月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけもするとをもゑよ (十二 94)
とあります。
世界中の誰もが人をたすける心になって、たすけ合いを実践できれば、親神様はその心を受け取って、どんなたすけもすると仰せられます。そこに至るまでにまず、「むらかた」と示される、身近な人々に親神様の思召を伝えること。その大切さを、教祖は身をもってお教えくだされたのです。
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