(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1294回

慈愛のてびき

知らないうちに危ない道にさまよいゆく子供たちを、黙って見ていられない。それが真実の親の心である。

慈愛のてびき

 

人間はどこから来て、どこへ行くのか。この世界の始まりに関しては、多くの人が関心を持っていることと思いますが、その興味の中で、人生の意義についても考えが及ぶのではないでしょうか。

私たちは陽気ぐらしをするべく、親神様によって創造されたことを知りました。それが、私たち皆が例外なく、幸せを求めてやまない理由です。しかし、その望みは必ずしも直ちに成就するものではありません。誤って、自ら方向を狂わせてしまうからです。

『天理教教典』には、次のように記されています。

 

親神は、知らず識らずのうちに危い道にさまよいゆく子供たちを、いじらしと思召され、これに、真実の親を教え、陽気ぐらしの思召を伝えて、人間思案の心得違いを改めさせようと、身上や事情の上に、しるしを見せられる。

 

  なにゝてもやまいいたみハさらになし
  神のせきこみてびきなるそや (二 7)

  せかいぢうとこがあしきやいたみしよ
  神のみちをせてびきしらすに (二 22)

 

即ち、いかなる病気も、不時災難も、事情のもつれも、皆、銘々の反省を促される篤い親心のあらわれであり、真の陽気ぐらしへ導かれる慈愛のてびきに外ならぬ。(第六章「てびき」)

 

我が子が地図も持たず、自分勝手にやみくもに歩いていこうとする危うさを、をやとしては黙って見ていられないのです。そして、今にも落ちていきそうな崖っぷちに立つ子供を、襟首をつかんででも安全な場所へ引き戻そうとします。いかに子供が嫌がっても、そうせずにはいられないのが親心なのです。

私たちは苦悩を抱えていない時には、足元を見つめずに過ごしています。身を病んではじめて、いまさらのように自分自身を省みるものです。病気や事情に遭った時には、そこに親神様のたすけたいばかりの慈愛の手が差し伸べられていることを信じ、喜びの人生を開くきっかけとしたいものです。

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