第1288回2024年6月28日配信
浅知恵に走らず
神様の物差しではかる世界は、人間の常識を超えている。そのことを端的に示されているお言葉を味わう。
浅知恵に走らず
信仰によって開かれる神様の世界は、知識として目で見て確かめられる世界よりも、はるかに広く大きいものです。それは神様の物差しによってはかり、判断する世界だからであり、次元が違うと言ったほうがいいかも知れません。次のお歌は、そのことを端的に示しています。
このせかいなにかよろづを一れつに
月日しはいをするとをもゑよ (七 11)
このはなしどふゆう事にをもうかな
これからさきのみちをみていよ (七 12)
どのよふな高い山でも水がつく
たにそこやとてあふなけわない (七 13)
なにもかも月日しはいをするからハ
をふきちいさいゆうでないぞや (七 14)
この人間世界のことは何もかも、神の支配によって成り立っている。神が諭しているこの話を何のことかと思うかもしれないが、これから先、現れてくることをしっかり見ておくように。たとえどんなに高い山であっても水びたしになることもある。必ず谷底のほうへ水が流れるということもない。そのような常識とはかけ離れたことも現れてくるが、何もかもすべて神が支配しているのだから、やれ大きい小さいと、目に見える形に囚われて判断してはならない。
支配という言葉からは、やや権威的な響きが感じられるかも知れませんが、それは世界中の人間をたすけようとされる親神様の断固たるご意思の表れに外なりません。
水は低いところへ流れていくのが私たちの常識です。大きいほうがいいとか、小さいからよくないなどと物事に固執するのも私たちの常です。そのようなこだわりを捨てて、もっと広く深い神様のご守護の世界に目覚めるべきであることを仰せられています。
この信仰について、「道と世界はうらはら」などと言うことがあります。人間の浅知恵に走るべきではないことを教えられているのです。
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