第1242回2023年8月11日配信
ひのきしん
ひのきしんとは、心の真実を神様に捧げる行いを指す。その原動力は「欲を忘れる」ところにある。
ひのきしん
「ひのきしん」は天理教独自の用語ですが、その意味するところは、特別理解できないものではありません。ひのきしんとは日々、心の真実を神様に捧げていく行為を指します。これは外から見れば社会に対する奉仕活動のように映るため、一般のボランティアとして理解されがちですが、あくまで大事なのは神様への報恩感謝の心です。
お言葉に、
よくをわすれてひのきしん
これがだいゝちこえとなる (十一下り目 四ッ)
とあるように、ひのきしんの原動力は「欲を忘れる」ところにあります。物質的刺激の多い現在の世の中において、欲を捨て去るのは至難の業です。しかし、その先には何が待ち受けているでしょうか。
なにもかもごふよくつくしそのゆへハ
神のりいふくみへてくるぞや (「おふでさき」二 43)
己の欲望をたくましくする者には、神の立腹が表れてくる。その一つが病気です。人は病を得た時、もうお金も何もいらない、ただただ健やかな生活を送りたいと望みます。そうなって初めて、世俗的な欲望のむなしいことを知るのです。
もし再び健康が与えられるなら、今後はこの身体を自分の楽しみに費やすだけでなく、少しでも世の中のため、人様の喜びのために使おう。そういう心が生じたなら、その人はすでに、たすかる道の端緒についたも同然です。
やむほどつらいことハない
わしもこれからひのきしん (三下り目 八ッ)
何と言っても、生きてこの世界に存在すること、これにまさる喜びはありません。勇んだひのきしんの姿は、周囲の人々を自ずと勇ませていきます。そして、人を勇ませることは、人をたすけることにつながっていきます。
ひのきしんの実際、その行為の現れ方には、こうでなければならないという決まりはありません。お金やものを、人を喜ばせるために使っていくことも一つです。また、近所の清掃を心掛けたり、元気よくあいさつをしたり。できることは無数にあります。
人をたすける行いには、目に見える報酬が伴いません。しかし、ひのきしんを実践していくにつれ、人がたすかっていく姿、人の喜ぶ姿こそがいちばんの報酬である。そう感じられるようになるのです。
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