第1373回2026年2月13日配信
夫婦
時代と共に結婚や夫婦の形も様変わりしている。しかし、その蔭では神様がちゃんと働いて下さっている。
夫婦
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし
このお歌は、天理教の朝夕のおつとめで唱える「みかぐらうた」の一節です。
「自然のすべてが天地の間で生成発展するように、夫婦があって新しい命が宿り、家族ができ、社会が形成される。夫婦こそ人間世界のすべての始まりであり、元である」と、これ以上ないほど端的にお示し下されています。
夫婦や結婚の形も時代と共に様変わりしています。お見合い結婚はもう過去のもの、恋愛結婚が主流となり、今やSNS上での出会いから関係が発展して夫婦となるのも、当たり前の現象となってきました。しかし、どのような出会いにも、その蔭ではちゃんと神様が働いて下さっているというのが、次のお言葉です。
「縁談というは、そう難しいようなものやない。一人があれと言うた処が行くものやない。あれとこれと心寄り合うがいんねん。いんねんなら両方から寄り合うてこうと言う。いんねんがありゃこそ、これまで縁談一条治まって居る」(M27・9・21)
結婚とは自分だけで決められるものではない。双方が歩み寄って夫婦となるのはもちろんですが、そこには出会うべくして出会ったいんねんというものがある。そのいんねんという捉え方が、結婚生活を支える上で、特に夫婦の関係が危機を迎えた時にとても大切な土台となるのです。
そして何より、陽気ぐらしへ向けて、二人の心が寄り合い、心の成人に向けて励まし合うためにこそ夫婦というものがあることを忘れてはなりません。
「おつとめ」は、お互いが向き合うのではなく、横並びになって、それぞれが一対一で親神様に向き合い、親心を求めて真剣につとめます。それは、時に向かい合ってぶつかり合うこともある夫婦の日常の中で、一人ひとりが安らかに自らの心を顧みる貴重な時間です。
おつとめでそれぞれが自らの通り方を反省し、あらためて横に並んでいる相手と向き合った時、夫婦とは共に成人を目指す仲間であると、認識を新たにする。それが、夫婦で信仰をする上での一つの大きな喜びではないでしょうか。
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