第1369回2026年1月16日配信
水にたとえて
教祖は私たちが得心しやすいように、「水」や「ほこり」など、生活に根差した例えで教えを説かれた。
水にたとえて
教祖は、私たち人間が得心しやすいように、生活に根差したあらゆる例えを用いて教えを説かれています。例えば、人の心は「水」に例えられています。
これからハ水にたとゑてはなしする
すむとにごりでさとりとるなり (三 7)
透き通るように澄んだ水もあれば、濁っている水もある。それに例えて話しをするから、しっかり悟りとるようにと仰せられます。
『天理教教典』には、
「人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁っているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた」
と記されています。
また、親神様の思いに添わない、自己中心的な心遣いを「ほこり」に例えて戒められ、
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (三 52)
と、そうした「ほこり」の心遣いを払うためには、親神様の教えを箒として、絶えず心の掃除をすることが大切であると諭されています。
水や箒など、誰もが生活に必要なものに例えてお教えくださるのは、水槽に少しずつ水を蓄える如く、徐々に私たちに深い思わくを理解させていこうとの親心からなのです。
それと同様に、直筆による「おふでさき」では、親神様の呼び方、「神名」についても、最初は「神」といい、次に「月日」と呼び、更には「をや」という呼び方を用いて、徐々に身近な存在として理解できるようにご配慮下さっています。
にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもふてしやんしてくれ (一四 34)
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる (一四 35)
人間も子供が可愛くて仕方がないであろう、神もそれと同じであると、私たちが我が子を慈しむ親心によせて、お教え下されています。
親神様はすべてにわたりご守護下さる絶対的な神であると同時に、ただ仰ぎ見るばかりの遠い存在では決してないということ、日頃のささいな喜びや悲しみまでも、すべてを打ち明け、すがることの出来る親身の親であり、どこまでも身近な存在であることを教えられています。
たとえそのお姿は見えなくとも、日常の暮らしにおけるどんな場面においても、親神様は私たちのすぐそばにおられるのです。
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