(天理教の時間)
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第1405回2026年9月25日配信

伝えたい思いがある

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関根 健一

文:関根 健一

第1349回

おふでさき御執筆

なぜ教祖は「おふでさき」という書き物によって教えを残されたのか。そして、そのご執筆のご様子とは。

おふでさき御執筆

 

ここでよくご紹介する「おふでさき」とは、天理教教祖・中山みき様「おやさま」が、親神様の思召しのままに、和歌の形式で筆に記された書き物のことを指します。

 

  このよふハりいでせめたるせかいなり
  なにかよろづを歌のりでせめ (一 21)

 

  せめるとててざしするでハないほどに
  くちでもゆハんふでさきのせめ (一 22)

 

  なにもかもちがハん事ハよけれども
  ちがいあるなら歌でしらする (一 23)

 

この世は理詰めの世界である。つまり、すべては親神様のご守護によって成り立つ世界であるということです。その理というもの、すなわちご守護の流れというものを、手で指し示したり口で諭すのではなく、筆によって教えていく。

そして、その理由について「これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた」(M37・8・23)と、一度聞いただけでは忘れやすい私たちの上を思ってのことであると仰せられます。

さらに続けて、「ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。」(M37・8・23)と、一首々々、軽い心で受け取ってはならないと戒めておられます。

さて、「おふでさき」ご執筆のご様子について、教祖はこのように語られています。

「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで』と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、『筆、筆、筆を執れ』と、仰っしゃりました。七十二才の正月に、初めて筆執りました。そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。

書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。『心鎮めて、これを読んでみて、分からんこと尋ねよ』と、仰っしゃった。自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや。それがふでさきである」

 

  だん/\とふてにしらしてあるほどに
  はやく心にさとりとるよふ (四 72)

 

とのお歌があります。親神様は、私たちに「おふでさき」のお歌を日々繰り返し繰り返し味わい、心に深く治め、この世界の真実を早く悟りとることを、切に願っておられるのです。

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