第1346回2025年8月8日配信
真実の願いは埋もれない
おつとめの拝礼の時、私たちはどのようなことを願っているだろう。欲深い、厚かましいお願いをしてはいないか。
真実の願いは埋もれない
人間には誰しも欲があります。「よくのないものなけれども」と、みかぐらうたにあるように、欲のない人間はいないと親神様は仰っています。生きるうえで必要な欲もありますから、ある程度は許されていると考えても良さそうです。
ところが、人間というものはいかにも欲深くて厚かましい。おつとめで親神様に拝礼をしている時、どんなことを願っているでしょうか。自分の健康な身体にお礼を申し上げる、今日も結構な目覚めを頂けた、あるいは身近な家族か親戚が病気で臥せっているのでたすけて欲しい、上司との関係で悩んでいる友人の気分が少しでも晴れますように…。このような謙虚なお願いなら親神様はお受け取り下さるでしょう。
ところが、なかには「もっとお金が儲かりますように」だとか、努力もせずに「テストの点数が上がりますように」なんていうお願いをする人もいるでしょう。親神様も、時に何千、何万ものお願いを一度に聞かれるわけですから、そんな自分勝手なお願いまでは手が回らないかも知れません。
親神様は、そんなたくさんのお願いの中でも、「私のことはどうでもいいのです。困っているあの人のことを、どうかたすけてください」という声を、スーッと聞き入れて下さるのではないでしょうか。
「ほしい、ほしい」と求めてばかりいる人と、「あの人をたすけてください」と真剣に祈りを捧げている人とでは、神殿で額づく際にも、おのずと醸し出す雰囲気が違ってきます。ですから、後者のような真実の願いは、どんなに大勢の人の中でも埋もれず、確実に親神様の元に届くのです。
「おふでさき」に、
をやのめにかのふたものハにち/\に
だん/\心いさむばかりや (十五 66)
とあります。
人様のことを考え、そのたすかりを祈る時間が長いほど、心はますます勇んできます。そうして自らの欲の心は自然に取り払われ、親の思いに近づいていくことが出来るのです。
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