第1323回2025年2月28日配信
かしもの・かりものの理
人間の身体は親神様からの〝かりもの〟である。この真実を心に治めることで、それまでの人生観は一変する。
かしもの・かりものの理
「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。」
この「おかきさげ」の一節こそ、天理教の教えの角目となる「かしもの・かりもの」の教えです。教祖は、直筆による「おふでさき」において、
めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん (三 137)
と、この身体は神様からのかりものであるということを知らなければ、この世界の真実について何も分かりはしないのだ、とまで仰せられています。
私たちは親神様から身体をお借りし、その大いなるご守護によって生かされて生きている。こうして言葉にするのはいとも簡単ですが、これを心に治めて通るところに、それまでの人生観や生活態度が一変します。
今までは自分の力で生きていると思い、己が力や才覚を頼りにしてきた。ひたすらに利益を求め、そのためには手段を選ばず、人を押しのけてでもやり遂げるんだ、とまっすぐに突き進んできた。
ところが、かしもの・かりものの理が治まれば、考え方が変わってきます。いかに力や才覚があっても、親神様のご守護がなければそれを有効に働かせることはできない。そもそも親神様のご守護を頂いてはじめて、私たちは生きることができるのであって、それがなければ健康も豊かな生活も望めないのです。
そこで、「心一つが我がの理」と、ただ一つ自由に使うことを許されている心の使い方をあらためる。親神様の思召しに添うように、互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしへ向けて心を入れ替えていく。それまで自分のことにしか思いが届かなかった生き方を180度転換し、人の喜びのために、人のたすかりのために思いを寄せていく。これがすなわち、心の生まれ変わりなのです。
このよふハ一れつハみな月日なり
にんけんハみな月日かしもの (六 120)
せかいぢうこのしんぢつをしりたなら
ごふきごふよくだすものわない (六 121)
かしもの・かりものの理に目覚めることが、親神様が望まれる、明るく陽気な心に生まれ変わる一番の手立てとなるのです。
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