(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1286回

心のほこり

雨の日、雲や深い霧が輝く太陽を覆う。この雲や霧に当たるのが、私たちの「心のほこり」である。

心のほこり

 

曇りや雨の日の飛行場には、雨雲が低く垂れこめています。暗い空を仰ぎ見ながら、これで飛行機は無事に飛べるのか、と不安な気持ちになります。ところが、ひとたび機体が舞い上がり、雲の上に出れば、そこには太陽が煌々と輝き、いつもと変わらぬ明るさいっぱいの世界が開けています。一見暗く見える雨の日も、決して光がなくなってしまったわけではなく、ただ雲や霧が太陽をさえぎってしまっているだけのことなのです。

私たちの日々の心遣いに関して、この雲や霧にあたるのが、天理教教祖・中山みき様「おやさま」がお教えくだされた、「心のほこり」と言えるのではないでしょうか。

教祖は、私たち人間の間違った心遣い、神様の望まれる陽気ぐらしに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえ、神様の教えを箒として、絶えず心の掃除をするようにと諭されました。

心のほこりを払うとは、言わば雲や霧を取り去って、太陽のような、人間本来の明るい澄んだ心を取り戻すことです。ではどうすれば、ほこりを払うことができるのでしょうか。

たとえば、顔に泥がついてしまったら、鏡に顔を写して拭き取りますが、心のほこりを払うのもこれに似ています。私たちはややもすると、自分のことを棚に上げて、人の欠点をあげつらうことが多いものです。

しかし、その目に映った人の欠点こそ、実は自分の心のほこりを映し出している鏡なのです。鏡に映った人のほこりは、自分のほこりの影であると反省し、心を治めるところに、たすけ合いの精神が生まれ、陽気ぐらしへの道が開かれるのです。

「心というのは、コロコロ変わるから心というのだ」などと言われます。単なる語呂合わせのようで、実に本質をついています。要するに、心は自由で、どんな姿形にも変わるということです。

私たちは誰しも、明るく楽しい、陽気な暮らしをしたいと望んでいます。そうであれば、皆が求める楽しい暮らしに向けて、心が自由自在に動いていけば何の問題もありません。ただ、お互いに相手のあることを忘れてしまうと、自分だけの楽しい暮らしへ向かうあまり、知らず知らずのうちに人を不快にさせることがあるかも知れません。これは自由ではあっても自分勝手な心であり、反省しなければならないほこりの心遣いです。

神様は、

「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(M30・12・11)

「勝手というものは、めん/\にとってはよいものなれど、皆の中にとっては治まる理にならん」(M33・11・20)

と仰せられています。

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