第1281回2024年5月10日配信
病にこめられた神様の思い
誰も病気になどなりたくはない。しかし、そこには人間を成人させたいとの神様の思いがこめられている。
病にこめられた神様の思い
人は皆、病気になどなりたくないと思って暮らしていますが、天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、次のように仰せくだされています。
せかいぢうどこのものとハゆハんでな
心のほこりみにさハりつく (五 9)
みのうちのなやむ事をばしやんして
神にもたれる心しやんせ (五 10)
病とは、心のほこりが身の障りとなって表れたものである。そのほこりについて反省し、神様にもたれる心になるよう思案をしてもらいたい。そうお諭しくだされています。
病とは、人間に思案のきっかけを与えるために神様がもたらすものであり、そこには、私たち一人ひとりに知らさなければならない神様の深い思わくが込められているのです。そういう見方ができないと、病気というものが単にネガティブに受け取るだけのものになってしまいます。
教祖をめぐって、こんな逸話が残されています。
ある信者が、長年の足の痛みをすっきりご守護を頂いたのですが、そのあと手のふるえが止まらなくなりました。それをたすけて頂こうと教祖のもとへうかがうと、教祖は、
「あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで」とお諭しくださいました。(教祖伝逸話篇147「本当のたすかり」)
たとえ身体の十分な回復がかなわない場合でも、心一つで陽気ぐらしを味わうことができるのがこの教えです。表面的な病気を治すことだけが目的ではありません。
病というものがなければ、多くの人は本来の神様の思いを知る機会もなく、いつまでも陽気ぐらしの本質を知らないままです。神様の目的は、私たち人間の曇ってしまった心の姿を、病という〝影〟を通して知らせると共に、その先にある〝光〟としての神様のお働きに気づかせようとされるところにあるのです。
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