第1279回2024年4月26日配信
ひながた
教祖が五十年にわたり通られた「ひながた」。苦難の中、つとめの完成に向けた段取りを着々と進められた。
ひながた
天保九年、四十一歳にして月日のやしろとなられた教祖の最初の行動は、日々の暮らしに困っている人々への限りない施しでした。それはおよそ常識からかけ離れた、家財を傾けてしまうほどのものでした。そこに見られるのは、「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」と諭される、親神様の思召しを素直に実行されたお姿です。
こうして赤貧洗うような中、社会の底辺に降り立って過ごされた歳月は十年にも及びました。「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」とのお言葉が、新鮮な驚きをともなって心に刻み込まれます。
この徹底した通り方をもって、教祖は私たちに様々なことを教えられています。たとえば、どんな困難な状況でも心の明るさを忘れないこと、常に相手の身になって判断し行動すること。また、物事への執着を去った末に得られる、すがすがしい喜びの境地、さらには社会的な権威や格式にこだわらない生き方こそ、陽気ぐらしへ向かうための第一歩であることを示されているようにも受け取れます。
やがて、安産のご守護であるをびや許しが道あけとなって、不思議なたすけに浴する人が次々に現れます。その時すでに、立教から二十数年が経っていました。
ここで、立教に際しての、「誰が来ても神は退かぬ。今は種々(いろいろ)と心配するは無理でないけれど、二十年三十年経ったなれば、皆の者成程と思う日が来る程に」との親神様のお言葉が思い起こされます。
人間の感情から推し量れば、教祖のご生涯は苦渋多き、波乱に満ちたものとして映ります。そんな中で教祖は次々に、おつとめの完成に向けた段取りを進めておられます。そのことがまた、官憲の取締まりの標的となりました。
しかし、お姿をおかくしになる直前の緊迫した状況の中でも、教祖が求められたのは、あくまでおつとめの実行でした。こうして明治二十年一月二十六日、一同、拘留を覚悟の上でのおつとめが勤められたのです。
教祖は、休息所に休まれながら、この陽気なおつとめの音を聞かれ、いとも満足げに見うけられましたが、北枕で西向のまま、眠るがごとく現身をおかくしになったのです。御年、九十歳でありました。
その日、不思議にも、取り締まりの巡査は一人も来ませんでした。それはまさに、世界一れつをたすけたいという親心から教えられたおつとめの力であり、それを実行した人々の真実に他ならないのです。
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