第1238回2023年7月14日配信
共に分かち合う喜び
教祖は八十を越えられてからも、人々と共に農作業に精を出された。その仕事ぶりを皆、感歎の思いで見つめた。
共に分かち合う喜び
私たちが普段口にする食べ物の、どれ一つとして、神様のご守護によらぬものはありません。鮮やかな食卓の彩りは、まさにご守護の賜物であり、一つ一つの収穫物には、大地と空の恵みがギュッと詰まっています。そして、その陰に、多くの人々の働きがあることは言うまでもありません。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」の、次のような逸話が残されています。
お屋敷で、春や秋に農作物の収穫で忙しくしていると、教祖がお出ましになり、「私も手伝いましょう」と仰せになって、よくお手伝い下されたそうです。
「麦かち」の時に使う、麦の穂を打つ柄棹には、大小二種類の道具があり、大きいほうの「柄ガチ」は、よほど力がないと使えません。しかし教祖は、ご高齢になられても、この柄ガチを持って、若い者たちと同じようなお働きをなさいました。
明治十二、三年頃の初夏のこと。カンカンと照りつけるお日様の下で、皆が汗ばみながら「麦かち」をしていると、教祖がお出ましになり、手拭いを姉さん冠りにして、共に麦かちをされました。
八十の坂を越えられたとは思えぬ教祖のお仕事ぶりを、皆、感歎の思いで拝見したと伝えられています。(教祖伝逸話篇70「麦かち」)
豊かな恵みを共有するには、相互のたすけ合いが不可欠です。収穫の喜びは、ただ一人が利益を得るだけではない、多くの人々と共に分かち合う喜びです。教祖は、八十の年を過ぎてなお、人々と共に汗を流され、この収穫の喜びを共有されました。
教祖は、
「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(側楽)と言うのや」(教祖伝逸話篇197「働く手は」)
と教えられました。
働くということは、人々が互いにたすけ合い、支え合うことに他ならないのです。
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