(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1197回

蔭膳を据える真実の心

真実の心や行いは、必ず教祖がお受け取りくださる。教祖が拘留された時の、ある信者の真実の行い。

蔭膳を据える真実の心

 

学生の頃、たとえば運動会や文化祭などで、なぜか自分への声援だけがよく聞こえてきた、というような経験はないでしょうか。喧噪の中でも必要な声が聞こえるのは、人間の認識がいつも取捨選択されているからだそうです。すべての音が耳に入っても、必要としている情報が無意識のうちに選択され、当人の求める声だけが届いてくるのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」の、次のような逸話が残されています。

 

明治の初め頃、教祖の教えは世間に誤解されることが多く、警察からも度々取調べを受けることがありました。

明治十五年、教祖は奈良監獄署へ十二日間拘留されました。その間、梅谷四郎兵衛さんは、お屋敷から監獄署までの十二キロほどの道のりを、毎日差し入れに通いました。

十二日間の拘留を終えて、元気にお屋敷へ戻られた教祖。四郎兵衛さんをお呼びになり、こう仰せられました。

「四郎兵衛さん、御苦労やったなあ。お蔭で、ちっともひもじゅうなかったで」

四郎兵衛さんは不思議に思いました。実は、毎日差し入れを届けてはいたものの、教祖には直に一度もお目にかかることができなかったのです。その上、誰も自分の差し入れのことを申し上げているはずはなく、どうにも合点がいきません。

ところが、そのころ大阪にある四郎兵衛さんの実家では、妻のタネさんが、教祖の御苦労をしのんで、毎日、蔭膳を据えてお給仕をしていたのです。(教祖伝逸話篇106「蔭膳」)

 

この時、教祖に届いていたのは、蔭膳を据えるタネさんの真実の心でした。これ以外にも、教祖が人々の「真心の御供」を大変喜ばれたという逸話がいくつも残されています。反対に、同じ御供でも「少しぐらいくれてやるか」と、高慢心で持ってきたようなものがあると、たとえそれを召し上がっても、

「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない」(教祖伝逸話篇7「真心の御供」)

と仰せられることもありました。

教祖が受け取られる声は、いつでも人の真心であり、真実の行いなのです。

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