(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1383回

神が連れて通る陽気

ものに恵まれた生活を「賑わし暮らし」と表され、これは「陽気ぐらし」とは全く異なるものだと教えられる。

神が連れて通る陽気

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」が説き明かされた、人間創造の「元の理」のお話によれば、人間は親神様によって「知恵の仕込み」と「文字の仕込み」を受け、その中で様々な文明文化を築いてきた。そして、その結果として現在、非常に恵まれた生活を営んでいます。

しかし、教祖はそのような人間の今日の生活を、

 

  このよふハにぎハしくらしいるけれど
  もとをしりたるものハないので (三 92)

 

と表現されています。すなわち、この世の進歩を遂げた、ものに恵まれた生活も、実はその元を知らないまま営まれているものだとの仰せです。

親神様が私たちにお望み下さる「陽気ぐらし」とは、この「賑わし暮らし」とはまったく次元の異なるものです。いち家庭が円満で、夫婦、親子仲良く幸せに暮らし、休日にはレジャーを楽しむような生活も、確かに「陽気ぐらし」の一部ではあるでしょう。しかし、これではまだ「賑わし暮らし」のレベルの話です。

お言葉にも、

 

「さあ/\陽気遊びというは、よう聞き分け。陽気遊びと言えば、今日もあちらへ遊び行く、何を見に行く。陽気遊びとは、目に見えたる事とはころっと格段が違うで」(M23・6・20)

 

とあります。

つまり、陽気ぐらし、陽気遊びとは、物見遊山の楽しみでもなければ、賑やかなレジャーや旅行でもないのです。そういった目に見える次元とは全く異なる、目に見えない心の持ち方に関するものなのです。

次のようなお言葉があります。

 

「神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(M30・12・11)

 

親神様に連れて通ってもらうためには、私たちが素直に親神様の思いにもたれることが大切です。ただ、「もたれる」と言っても、自分のことを棚上げにして、何でもお願いすればいいということではありません。

身の周りに起こること全てが親神様のお計らいであるという元を知り、その中で生かされていることを自覚し、日々を喜び勇んで通ること。そうした中に、真実の親に手を引いてもらっているという実感が湧いてくる、すなわち「神が連れて通る陽気」を味わうことが出来るのです。

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